INFPを分析する②〜INFPと仕事〜
今回は②について書こうと思うが、①について少し補足的な話を。
私の場合、INFP特有の想像力を勉強に有効したという側面があるが、想像力がものすごく足を引っ張った経験がある。
「問題の意図や選択肢を深読みしすぎる」ということが頻繁に生じたのだ。
特に国語と英語。普通に考えたら明らかにこちらなのに、「もしかしたらここをこう解釈する可能性もあるかもしれない」「こう訳すると見せかけて、ここはこういう意味に訳すると、こういうことを言っている選択肢だとも言えるからこっちかな」などと、「あるかもしれない可能性」に目を向けすぎる結果、考えすぎて間違うのだ。
だから、記述式の難問の模試は順位が高いのに、みんなある程度取れるマーク式の模試だけは良くない、という状況に直面した。
そのとき、「徹底的に自分の思考パターンと正解の解釈を照らし合わせる」ということをやって、「自分が独特な解釈で可能性を見出してしまうときのパターン」を完全に掴んでからは、「これはあの独特解釈が始まってるな、こっちは気にせずストレートにこっちを選ぼう」となり、見事国英は満足いく点数が取れるようになった。
INFPの想像力で勉強が捗らない•点数が伸びない人は、一度自分の思考パターンと問題の構成パターンを照らし合わせてみることは、有効なのではないかと思う。おそらく一般的な問題とその解答は、N型的な考え方に合わないよう作られている。
さて、前置きが長くなったが、今回は②「非日常への憧れと虚しさ」について語るが、ますますINFP特有のちょっとおかしな話になるので、こいつ何言ってるんだろうやべーな、という方はスクロールストップ!である。やべーけども、INFPの頭の中覗いてみたいと思ってくださる方はぜひ見ていってください。
幼稚園くらいの頃、私たちゆとり世代ではセーラームーンが大流行していて、私はある日ついにセーラームーンのミュージカルを見に行った。
それはそれは楽しかった。しかし、なぜか強烈に覚えているのは、見終えて家に帰ってきた瞬間の感情で。
そのとき、何とも言えないぽっかりとした気持ちになった。まだ満足な語彙を持たなかったので、当時の気持ちそのままに表すと、ぽっかり、なんかさみしいな、みたいな。
その表情を見て、「また、連れていくからね」と母が言ってくれた。楽しみにしていたことが終わってしまって、私が悲しんでいるように思ったようだ。
それは、間違いではない。ずっとワクワクして待っていたことが終わって、ものすごくさみしかったのはある。
母は私と同じINFPなので、幼少期から繊細すぎる私の感情も何でも読み取ってくれた。だいぶおかしな私が、擬態能力高めで外ではまともな社会人として生きられているのは母のおかげだ。
母と私が珍しく喧嘩するときというのは、私がまだ十分に言語で自分の感情の詳細を表現しきれないから、お互いの繊細さがぶつかってしまったという原因のみだったように思う。
だが、「終わってしまってさみしい」、それがメインの感情ではなかったのだ。
何が、こんなにぽっかりするんだろう。
当時の私は答えを見つけられなくて、その感覚だけが、強烈に心に焼きついた。
幼少期の感覚というものは、おそらく自分の根幹。
だから、私は再び大人になって同じ感覚味わうこととなったのだ。
無事普通に四年制大学を卒業し(自分探し地獄だった点については本当につらかった)、社会人として私が選んだ業種は教育職だった。
共感力がある方なので、(特に言語がきちんと通じる中学生以上の)子どもたちと向き合い一緒に勉強方法を考えたり、どうやったら自分の目標が達成できるのか、ときには人生についてともに考えながら学習サポートをする業務は、私に非常に合っていた(ただし、日々気をつかいすぎてものすごく疲弊はする)。
そして、自身の受験から解放された私は、徐々に自分の興味の箱の中身を取り戻せるようになっていて、舞台やコンサートの鑑賞を趣味にしていた。
平日は、やりがいのある仕事をし、休日は、ときにはコンサート鑑賞のため遠征までして楽しむ。
SNSを通じて、同じアーティストを応援する仲間もできた。
かなり交流の輪も広がったので、一見まったくI型には見えない生活になった(ただ、オタク友達はみな優しく共感力があり共通の話題にも尽きないので、安心してお付き合いができるというだけで、どんなタイプの人ともワイワイできたわけでは全くないからやっぱりI型。おそらく自分と似た性格タイプの人が多かったと思う)。
しかし、そんな生活を数年続けて、コンサートから帰ってきた後、再びあの感覚が襲うことになった。
虚しいのだ。
何で!?!?と、自分でも思った。
日々の仕事はものすごく大変だけれど、自分を活かせていて充実している。
休日も、ずっと欲しかった友達もできたし自分の好きなことをやれているし、家族との時間も楽しめているから何を憂うこともない。
何で!?!?どこまで自分はワガママなの!?というか、この感覚何!?何に対して虚しいの!?この生活の一体どこが虚しいの!?!?
ただ、このまま、決してものすごく単調なわけではないけれど毎日決まった時間に行き決まった授業をこなし、いずれ同業者と結婚してそのまま地元で真面目な一人の教育者として堅実に生きていく…… と考えると、私は明らかに、その人生に全く魅力を感じられていなかった。おそらく、一般的に考えれば、とても恵まれていて安泰で、成功と呼べる一つの人生の形であろうに……
この感情の葛藤とは、2年くらい付き合った。
勘違いだろう、ちょっと疲れているのだろう。
色々思おうとしたが、消えてくれないし、次第にこの感覚が嫌すぎて遠征もあまりしなくなった。
かといって、休日家で好きなことをして過ごしたとて、この不満感というか、謎のフラストレーションから解放されることはなかった。
今度は自分を責める感情ばかりがわいてきた。
恵まれていることに、感謝すらできない人間なんだと。
そして、あるとき、これはあの幼稚園児の私が感じていた感情と同じで、そしておそらく自分の中の本当の自分は、この感情の答えに気づいていることに、気づき始めた。
たぶん、自分は向こう側に行きたがっているんだということに。
あの時私は、キラキラしたミュージカルの世界を体験して、特別な場所がこの世の中にあることを知った。でも自分は今日から続く日常を生きるだけで、まだ自分では何もできない、何の力もない平凡な幼稚園児。
そのことが異常に虚しく感じられたんだということ、
そして、今まさに、同じ感情を味わっているのだということに。
向こう側とは、コンサートや、舞台や、それを鑑賞する受信側ではなく、それを届ける側。
気づかないようにしていたけれど、気づいてしまった。
でも、気づいてしまっても、いったいどうすればいいのかがわからない。
届ける側といっても、今からアイドルや舞台俳優を目指せるわけではない。
当時、25歳。決して若くはないし、容姿も普通だし、何せ、今の仕事をやめられない。
そして、一応音楽の素地はあるし演技しながらの朗読とかは得意だったけれど、所詮「一般人の中ではちょっと得意」な程度。
それを極めることなんてできるのか。
そして、全てをかなぐり捨ててでも、極める道に入りたいと、そこまで本当に思っているのか???
何もわからなかった。
自分のモヤモヤの正体はわかったし認めた。
でも、それを解消する手段として、何を選び取っていけばいいのか、多少器用だという程度の自分の能力では何ができるのかもわからないし、そもそも自分の意志が、「向こう側」の「何」の分野に携わりたいのかもわからない。
そこからは、いろんなことをやってみるしかなかった。
ちょっと演技のレッスンを受けてみたり、ピアノで耳コピをしてみたり。
しかし、抜群に演技がうまくて見つかるということなどもちろんないし、ピアノも、YouTubeで何万回も再生されているストリートピアノの方々のように、聴いただけで両手で完璧に演奏できるレベルになどないから、有名になりようもない。
あぁ、自分は何もできずに、ただの鑑賞者として終わっていくしかないんだな……
そう思うと好きだった舞台もコンサートも、何も見る気がしなくなってきてしまった。
どうして、「コンサート楽しかったね!!!また仕事がんばろうね!!!」と言って、みんなみたいに純粋に楽しめないんだろう。
どうして、ちゃんとこんな私でも仕事に就けて充実しているのに、心から充実感を味わえないんだろう。
日々の小さな幸せに溢れた毎日に、心から感謝できないのはどうしてだろう。
また、私はみんなみたいにちゃんとできない。
そんなときだった。弟が、「お姉ちゃん、耳コピできるよね?鼻歌をピアノで曲にできる?」と、突然の依頼をしてきた。
正直、耳コピを曲として完成度が高いレベルにまで仕上げた経験はないので、自信はなかったものの、無意識に二つ返事で承諾していた。
そして、私は初めてメロディーのみ渡されてあとは全て自分でやるという、いわゆる編曲に挑戦することとなった。
結果、曲の構成や伴奏を考えるのは難しかったというよりものすごく楽しくて、楽譜で決められた通りにピアノを弾いていたときは、こんな表情でピアノの前に座っていたことはないだろうと自分で認識するほどだった。
ずっと曲のことを考えていたし、完成して演奏し終えたときには、感じたことのない達成感と充実感があった。
そして、その感情は、できたものを渡して喜んでもらえたときに、もっともっと大きくなった。
それから、物書きを志す弟と一緒に、時々一緒に作品を作るようになった。
ピアノだけでは、クラシックの領域を出ないので、ポップスとしての曲に挑戦するため、苦手なパソコンを使ってDTM(パソコンのソフトで曲を作ること)に踏み込んでみた。
これが、また本当に楽しかった。
私が弾ける楽器はピアノだけだが、ソフトを使えばドラムやベース、ギターだってかっこよく鳴らせるし、弦楽器のオーケストラも奏でられる。
ピアノ以外全く経験がなかったので、ギターも弾けないコードもわからないだったが、耳だけはある程度確かだったので、合う合わない、こう進行したらいい、というものは感覚的にわかり、そこまで苦労しなかった。
オリジナルの伴奏で、一曲を、ミスなく弾くことは私には難しかったが、DTMなら、思いついた伴奏を何小節かずつ録音することもできるし、一部修正だってできる。夢のようなシステムだった。
そして、今までそんなことができるとは思っていなかったけれど、オリジナルのフレーズやかっこいい感じの伴奏は、びっくりするくらいスルスルと思いつく。
「人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできること。 それがお前の得意なものだ。 それが見つかれば、しがみつけ。 必ず道は開く」
その頃放送されていた、朝の連続テレビ小説「エール」で、主人公の裕一に先生がくれた言葉だ。
才能について、考えさせられた。
ちょうど、裕一のそれも、音楽だった。
もちろん、私はモデルとなった大作曲家•古関先生ほどの力などないのは当たり前なのだが、そういうことか、という感覚はわかった。
INFPは、おそらくかなり完璧主義で理想も高い。
DTM業界でも、上を見ればたくさんのプロがいて、いつまでも「自分なんて」と言うしかない気もした。
でも、才能について、そんな風に考えれば、道は開けるんじゃないかと思えた。
それから、すごく、努力した。
努力と根性は、自分と合わない社会で懸命に擬態して生きてきた自分にとって、後天的に手に入れた唯一の強みで、学校教育が私にくれた唯一のものだ。
でも、少しも勉強したくなかった私にとって、勉強への努力は少しであってもいつも苦痛を伴うものだったけれど、音楽に関する努力は、全く辛くなかった。
月に2回、スクールにも通い始めたが、「初めて作ってこのレベル!?」ととても褒めてもらったし、実力のある先生に的確に指導してもらったおかげで(学校では、ろくな先生に出会えなかったが、大人になってからは本当に人に恵まれるようになった)スキルが上がっていき、作れる曲の幅が広がるたびに楽しかった。
仕事の休みの日は、ほとんど一日中パソコンの前に座っていてほとんど休まずあっという間に終わっていったけれど、コンサート遠征で旅行を楽しんだり、一日ゆっくり過ごしたりしていた以前の休みの何倍も充実していた。
そして、ありがたいことに、作曲が仕事になった。
同時に、私の心の中から、あのぽっかりが消えた。
好きなことを仕事にするのはつらい、とよく言われる。
求められることに応えるだけになり、好きで聴いていた音楽も純粋に楽しめず嫌になると聞く。
でも、私の場合は、日々音楽を聴いたり、実際に足を運んで生のコンサート見たり、そういうものが全て、自分の勉強になること自体が嬉しかった。
ただの鑑賞者(受信側を軽く見ているなどでは決してなくて、鑑賞してくれる人がいるから自分の仕事があることを、ありがたいと思っている。ただ、音楽や舞台の分野では、私は受信するのみではなく提供側に行きたかったということだ。絵画などそのほかの分野では、自分も存分に「鑑賞者」として受信する活動のみを楽しませてもらっている)ではなく、発信する側として還元できることだけで幸せだ。
結局、ダブルワークとなったため、仕事の忙しさは半端なく、完璧な休みというものがあまり存在していない。
でも、心は人生で最も安らかだ。そして、以前よりぐっと減った余暇の時間のなかで、趣味や、人との交流を、私は初めて心から楽しめているし、心から感謝できている。
アーティストさんの思いを聞いて曲として形にしたり、まるまる一つの舞台の楽曲を手がけたり、そうやってステージを愛する人たちと一緒に作品を作ることが、何よりも楽しい。
自分の好きな世界で創作活動に関わりながら、誰かの役に立てることが、自分のいちばんの喜びなのだと知った。
そんな中で、教育職の方を、少し、サブ的な形にしたいなと感じ始めている。
教育職といっても、自営で私は責任者だ。悠々自適な長ではなく、出るべき時間は全部自分が出て、あらゆる責任は全部自分がとるタイプの。
私が引き寄せているのだろうか、INFPやHSP気質な子も多い。おそらく、そういう生きづらさを感じている子たちの自己実現への気持ちや、日々の学習へのアプローチは、私のような人間でないと心底わかることはできなくて、そういう子たちと関わらせてもらうことで、私は過去の自分自身も癒されるのを感じる。
しかし、やはりたくさんの我慢をしてきたことに、今なら気づくのだ。
本当は、毎日大勢の人を同時に見て、適切なアプローチをして、同時にいくつものことを強制的に行わないといけなくて、そもそも何時までには行かないといけなくて、何時までは絶対帰れなくて、休憩もなくて、全ての責任をいつも自分が負っていて…… という事柄の全てが、正直めちゃくちゃ苦痛だ。
そんなことを言っていては、仕事などできないのだから……と、学校教育で鍛えられた根性でなんとか乗り切ってきたけれど、私がやりたいのは「子どもたち一人ひとりへの、じっくり丁寧なカウンセリングとアプローチ」であって、組織の管理でもないし、バリバリの経営でもない。そして、もっと一人の時間が欲しい……
本当はルールの全てが嫌だし、何にも縛られたくなくて、子どもたちと喋るのは大好きだけど毎日行かなくていいなら仕事に行きたくない。
自由に音楽を作って、音楽を愛する人たちとたくさんの交流をして、できればときには地元も飛び出してアーティスト仲間を増やして……そして、ときには時間を気にせず子どもたちと向き合って、一緒に成長していきたい。
はぁ、何てワガママなんだろう、と思う。
でも、それが自分なのだから仕方がないし、音楽をつくることと、一人ひとりと心からじっくり向き合うことこそ、私がたぶん人より得意で好きで、いわゆる使命といえることなんだと思うから、そこにフォーカスした方がいい、とも思えるようになった。
だから、任せられるところは、それが得意な人にお任せできるよう、誰かの力を借りたいなと思っている。
風の時代、と言われるこれからは、たぶん、今までより自分らしい生き方というものが重視されていい世界になると信じている。
今の自分の理想が実現できれば、これは確実にINFP的理想を実現するベストな生き方の一つなのではないかと確信している。
たぶん、INFPにとって、
•ある種特別で特殊であること(おそらく創造的分野。仕事または趣味でもちゃんと発信できたりコミュニティーに属したりして外に出す)に関わり、美しい世界の創造の一端を担う
•誰かの役に立つことができ、それを実感できる
•人との心からのつながりを感じられるけど、適度に一人の時間が保て干渉されすぎない
の3点が、非常に重要であるように思う。
そして、この3点を同時に叶えるのは、これまでのいわゆる「社会」においてはかなり難しい。
しかし、真の理想主義者であるINFPにとって、どれかが欠けると、本当の自分に我慢が生じてしまうし、苦しみに気づき耐えられない日が来てしまうもしくは擬態したまま片目をつぶって生きていくことになってしまう。
占星術的には、今日から冥王星が2回目の水瓶座入りをし、本格的に風の時代がスタートすると言われている。これから、INFPにとって理想を追求することが、今までよりは、しやすくなるのではないかと期待している。
これまでは、擬態することが、INFPにとってなんとか人間社会を生きていく唯一の手段であるように思えた。しかし、私は理想を諦めたくないし、同じ生きづらさを感じるINFPの人たちにも、勝手ながら諦めてほしくないなと思う。
きっと、それぞれにとっての正解が、見つかるはずだと思うのだ。