不定愁訴の話
私は物心ついてから今まで、「今日はすごく元気だ…!!!!!」と感じた日が、数えるほどしかない。
朝すっきり起きられて、1日パワフルに動けたらどれだけいいだろう、と思うものの、来る日も来る日も、朝起きるとまず「今日の体調不良はどの程度か」を測ることから1日がスタートする。
最近で、この「今日はすごく元気」日が来たのは、2018年と8月11日だ。
前日、疲れから22時半に就寝、そして爆睡しすっきり6時半に起床、ほぼ丸1日パワフルに働いた。
その日以来、元気な日がない。完璧な睡眠をとれることがないのだ。朝起きるといつも疲れている。
少しこういう話をすると、「ストレスじゃない?」「無理しないでね」「○○試してみたら?」などと言ってもらうことが多い。
でも、いわゆるHSPという気質を持っている私にとって、日常の些細なことでさえわずかなストレッサーになってしまうし、そもそも無理なんてしてなんぼなのだ。もし、「無理しないで」に従うとしたら、今日も明日も布団の上だ。
「無理しない」としたら、仕事を毎日休むことになるし、やりたいこともできずに寝ているか、せいぜい家の中でじっと座っているか、になってしまう。
だいたい、少し調子が上がってくるのは夕方ごろ。
ある程度の無理をしないと、まともに社会人としての生活を送れないし、学生時代なら、学校に1日も行けないことになってしまうのだ。
そして私は、毎日体調が良くはないけれど、本当に休まなければならないような、「熱が出る」的な目に見える体調不良には決してならない(もちろん出したいわけではないが)。
小さい頃は、めちゃくちゃ熱を出していたけれど、一生分出したのだろうか。
だから、大義名分がないので、休めない。
大義名分のない体調不良には、慣れきってしまい、当たり前のように笑顔で無理ができてしまう。
あまりに、無理することが日常すぎて、どの程度が一般的に休むべき無理なのか、正直かなりわからない。
来る日も来る日も、体にムチを打って無理できてしまうし、無理しないと普通に生活ができないので仕方がないし。
ということを続けていたら、心の声が聞こえなくなってしまった。どうやらもう長いこと聞こえていないらしいし、頭の声を心の声だと勘違いして生きてきたらしい。
それを意識すると、ちょっとだけ、思考と感覚の違いがわかった気がする。
心の声は、体の感覚とリンクしているという。
徐々に心の声が聞けるようになればいいなと思うし、自分を取り戻すことを、改めて今日から始めてみようと思う。
もしかしたら、それに気づかせるために、私はずっと体調が悪かったのかもしれない。