どうしても抗いたいもの
去年だったか一昨年だったか、親知らずが痛むと思ったら、親知らずの一つ手前の治療済みの歯の下でくすぶっていたらしく、どうにもできないほど痛み始めた。
週末に歯医者に行こうと思うものの、週末まで待てないほど痛くなり、24時間鎮痛剤漬けになった。最後の晩は一晩で市販の鎮痛剤一箱近く飲んだらしい。朦朧としていて覚えていない。そのまま歯医者に行き、麻酔をかけたところ、完全に心臓がバクバク、動けなくなってしまい、タクシーで帰宅したものの、すぐ救急車に乗る羽目になってしまった。
恥ずかしい思い出である。
歯医者はもちろん、病院もわたしは苦手だ。できる限り行きたくない。さらにいうと、薬を飲むのも苦手である。こんな小さな錠剤1錠に自分の痛みをコントロールされることが怖いのだ。まるで自分の意思が捻じ曲げられているかのような気持ちになる。
一方で妹は些細なことでも病院にかかるし、薬も早めに飲むタイプで、その点は尊敬している。
できる限り薬を飲みたくない自分とギリギリの戦いを繰り広げるのが偏頭痛である。薬を飲まずに耐えられる程度ならできる限り飲みたくない。だが、遮光カーテンの閉まった部屋でうずくまる事態は避けたい。
薬を飲めばいいのだ。飲んで痛みがひどくならなければハッピーだし、飲まなくても耐えらだかどうかは薬を飲んでしまった時点で検証不可能だ。だから痛む予兆があれば飲めばいいのだ、耐えられなくなってから薬を飲んだとして、それが効くまでの時間を耐え忍ぶことになるのだから、飲むのは早いに越したことがない。
頭ではわかっているのに、毎度毎度頭痛薬と偏頭痛のチキンレースを繰り広げてしまうわたしは学習能力が欠如している。
昨日は暑かった。光刺激と脱水症状は頭痛を起こしやすいとわかっている。帰り道水分補給を誤ったのか、お昼ご飯が少なかったからなのか、途中でうずくまりかねないほどの体調不良で、帰宅後すぐに羊羹とビタミンC飲料で身体を休めることにした。それでひとまず身体の不調は少し治ったが、頭痛に移行し始めたので、鎮痛剤を飲んだ。
それでいいのだと思う。わたしがぶっ倒れたら息子はわたしの実家にも病院にも連絡しようがないのだから、薬に大人しく身を委ねるべきだと思う。実際今日出勤できたのは昨日鎮痛剤を飲んだからだと思う。
なぜ薬から抗いたくなってしまうのだろう。何に反発しているのだろうと心の奥底を探りつつ、もうすぐ1回目の接種を受けることになりそうだ。