本当に必要かな、と考えると

私は良く考えずに、物を買っていました。
その根底には、物を買う=自分への当て付け。
何もできない自分へ当て付けて
物を買い漁っては、新しいものを
更に買い込んで。の繰り返し。
  

それは、欠乏という言葉では言い表す事が
出来ないほど、落ちこぼれた自分、という
一種の罪悪感のようなものまでくっつけて
そして、更に。知識コンプレックスも
私にはありました。

知識のない私という幻

知識がない私は恥ずかしいから、と
読まない本を買い込んでそれで満足。
買っただけで読んでもいない本で部屋が
溢れているのに、知識を得るために、という
フェイクに突き動かされて買い込む。

そんなことを繰り返していて
部屋は要らない読まない物で溢れました。
それでも気付かず、目の前の本や小物
服などを、ひたすら買い込んで……の
繰り返しは止まらなかった。

物を買う=自分への当て付け。
そして、溢れたものを『捨てる』事をせず
溜め込むばかりで、生活を拗らせていました。

それが変わったのは。stayhome。

目が覚めたのです。

こんなにたくさんの要らないものを
抱えている状態が心地良いはずがない。
我に返ったのです、読まないもの要らないもの
そんな部屋にいたら、自分の思考は
絡まり、さらには決断力が育ちません。

あぁ、寂しくて辛かったのね

本当は満たされたかったし、愛されても
居たかったのだよね、だけどそれが
叶わないからこうして沢山買い込んで
自分を満たそうとしてたのね、だけれど
それは間違えた満たし方になる、と。

本当にそれは必要なの?

日記がほしい
手帳がほしい……、ねぇ。それ本当に
必要なものかな、と問いかける事を
始めてみよう、使うものか読むものか
愛用するか、ずっと大好きでいるか

またこれを持てば、私は満たされるはずという
こんな理由が紛れ込んでいないか、を
見ていこうと……。

本当に必要かな

私達の目の前にはたくさんの情報や
物で溢れているけど、それは
本当に今の自分にとって必要なものかな。
自分の欠点や、見栄や他人目線が
入り込んで、ほしいと思っているだけじゃ
無いのかな、と思うと、思う様目の前に
あるものを手当たり次第買うことは
なくなるのではないか。と思うの。

必要てないものを捨てることを
嫌がっているのは、手放したら
もう二度と手に入らない、そんなのいや!
だから手放すものか!と
頑なに握りしめているから、だったりします

握りしめた手を開いて?
過去の私がそうだったの。
手放したら全ておしまい!と思ってたし
手放すなんて考えなかった。
だけど、溢れたものを見て。

私を私が大切にしていない

というのが目に見えた瞬間があった。
そのとき、私は目が覚めた。

そんなかわいそうな事をしてはいけない。
要らないものを捨てよう。
溢れたものを手放そう。

必要なものはまた買い直しができる。
それに必要なもの、なんて限られている。
多くを持つより、自分の暮らしの中の
はんちゅうで、ピッタリのものを
探せば良いんだ、と気づいたから。

何でも買い込んでいた私は
物と自分との距離をとれはじめている。