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電話恐怖症が出た日

私は声を出すことが苦手というか話すことに対する苦手意識がある。対面での会話でもそうだし、電話での会話を人から聞かれることにもすごく嫌な抵抗感を感じる。
昔から、家庭内とごく一部の限られた友人とは自然に話せるけど、「それ以外」の人達とはよっぽど気が合ったり波長が合わなければ、会話が自然にできない。
そんな自分が、親と一緒にランチに行くことになったのでお店に予約の電話を入れることになった。(親に予約を頼まれた)
傍に親がいて、「〇〇時から2名で予約したいんですが・・・」「はい、名前は○○です。」と予約をして、電話を切ったら、
親がビックリして「アンタ、そんな暗い声で話してるの?!そんな話し方じゃ、面接もどこも受からんよ!なんでそんな呟くみたいな、ボソボソと話すん?!ちゃんと声を出し!どれだけ頑張っても、その話し方のせいで何もかも全部ダメよ‼」って言われて、めちゃくちゃ嫌だったし、暗くなった。
(私は現在、就活中。)

親と、外界(学校や会社や外の世界)との自分の会話能力って全然違うから、親には見られたくない姿でもある。

親から、「そんな話し方(声)じゃ、どこ行ってもだめよ!」って言われたことで、改めて外の世界(世間)での自分のコミュ力の低さとか対人能力の低さを客観的に指摘されて、ああ、やっぱり生き辛いなと思った。

電話って、苦手な人も多いかもしれないけど、「緘黙症」のある人にとっては、”苦手”っていうのではなく、恐怖なんですよね。「聞かれることの恐怖」というか。

それを、身近な、「話せる範囲の人」に指摘されたってことが、悲しいというかどんな顔すればいいか分からないというか。。

電話が好きになることはないと思うし、こういう経験をするのも嫌だから、友達とか知人のいる前で電話を受けることも、掛けることも、一層、苦手になりそう。一人でも、苦手なのだけど。

指摘されて、直せることなら直せていると思う。それだけ根強い特徴だし、自分の意志によるものじゃない。と言っても、当事者にしかこの感覚は分からないはずだから、理解して共感してもらいたいというわけでもない。

私は自分が「多分場面緘黙だろうな」と知ってから、安心したってわけでは別になくて「そうである以上は苦しみからは解放されないのかな」という悲しさがある。人にそれを知ってもらえても別に嬉しくないし、症状が改善されることが嬉しい。

これって克服できるものなのかな?私の一番大きな疑問です。

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