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やりたいことの数だけ名前が必要だよね
知人にTwitterのフォロワーを5万人抱えている人がいる。
とはいえ、それが彼の本職ではない。本職は、また別名でライターをやっているのだという。
「それ、本名でやっているの?」と聞けば、「そんなわけないじゃん」と返された。「やりたいことの数だけ名前が必要だよね」と。
これはSNSを見ていて感じるのだが、その人の「イメージ」というのは、自分で作っていくというよりも、まわりに勝手に作られていくものが多い。
だからこそ、芸能人が違った一面を見せようものなら、「なんかイメージと違う…」と言われて、勝手にがっかりされてしまうのだ。専門家の人が、ちょっとでも専門外のことをやろうとすれば、「専門のものだけやってろよ」と言われてしまう。
「イメージ」って窮屈なのである。
一度「◯◯の人」と思われてしまうと、新しいチャレンジをしようとしたときに、イメージを払拭するのが難しい。
私たちは本名と顔面を気軽に変えることはできないけれど、アカウント名とアイコンは1分あればサクッと変えることができる。そうやって自分のなかにある数多の自分をチャンネルを分けて出していく。
やりたいことと求められているものを考えながら、自分だけど、本当の自分とはちょっと違うような気もする、自分の「一部分」を晒す。
私の今のアカウントも、本当の自分とはちょっと違う。そもそもリアルでこんな喋り方をしていないし、もっと恋愛事情にもグイグイ踏み込むし、フツーに下ネタも言う。でも今のアカウントでは言わない。
「なんかそれは違うよな」と思う。冷めたツイートも、達観したツイートも、変に生々しいツイートも、この子にはさせたくないな〜というよくわからん視点からアカウントを見ている気がする。
今アカウントは4つぐらいあって、「このネタはどれで呟こうかしら」と悩むこともあってちょっとおかしい。
彼は「やりたいことの数だけ名前が必要だよね」と言ったけど、やりたいことの数だけ名前を作れば、やりたいことができてしまうから、とてもいい時代だなと思う。
「今の自分」で言いづらいことがあるのなら、もうひとつの名前を作ってみればいい。足りないのならいくつでも。自分の口からは言えないことを、もうひとりの自分に言ってもらって、いくつも新しい世界を作っていこう。
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