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好きな人に「好き」って言える環境があるなら1000回言っとけ
わたしには大好きな大好きな大好きな(無限)田村ゆかりさんという推しがいるのだけど、今度久しぶりにライブに行くことが決まった。
2020年に中止になったツアーの振替である。彼女は毎年のようにアルバムをツアーをやってくれるので、本当に去年は桜の咲かない春、サンタのいない冬みたいな1年だった。
「会いたいくせに会えないってこんな気持ちなのか」と遠距離恋愛みたいな気持ちを味わった。
ゆかりんの歌に「会いたいときはどうする? 翼があればいいのに」というのがあるけれど、翼を持ってしても私は彼女に会うことができない。
今までチケットさえ手に入れれば会えていたけれど、本来わたしたちは彼女が外に出てこない限り「会いたい」と言っても会えることのないちっぽけな存在なのである。
相手からの供給がないというのは死活問題だ。
何かのマンガで、「好き」という思いがコップ1杯に溜まりに溜まっていくと、どこかで溢れて「好きです」と相手に伝えてしまう描写があった。
そもそも、相手に「好きです」と伝えられることがどれほど恵まれていることか!!!
伝える相手に会えるだけマシやろ!!もっと感謝しろ!!!みたいな気持ちになってくる。ごめんなさい、ジェラシーですこれ。
せめてこの溢れんばかり思いを…伝えなければ…どうにかなってしまいそうなので、わたしたちはファンレターを書いたり、こんなふうに自己満足な記事を書いたりして何とか消化をする。
そう考えると、人間ってマジでややこしい。
だって食欲も性欲も睡眠欲も解消しなくちゃいけないし、この「好き」って感情らはうまく解消してあげないとモヤモヤして生きてられないじゃない!?
そう、相手に直接伝えられないのなら、自分でなんとかするしかない、いや自分でなんとかせいや、と神に言われているようなものである。人生超ハードモードやん。
そんなわけで、家のソファーでブルーレイを観ながら「ゆかり…ゆかり…会いたい…ゆかり…」と末期症状が起きて首を掻きむしったりするなどしていた。
ところで、田村ゆかりさんのライブには「コール」と言って、ファンがゆかりんに向かって愛を叫べる公式ラブレター的な措置がある。
「だーいーすーきーだよー!」という歌詞が公式から提供されているので、それはもうこちらもありがたくその歌詞を頂戴して思いの丈を叫ぶしかない。
むしろそのようにして設計された歌であり、我々のコールをもってして完成すると言っても過言ではない。(知らんけど)
わたしはいつもこのコールを叫ぶとき、とんでもない多幸感に包まれる。
好きな人に好きと伝えられる幸せ。
しかも公式に。でっかい声を張り上げて。さらなるうえは相手も「たくさん言って!!」と返してくれる。公式に告白ができて、公式に両思いになれるのである。(曲のあいだは)
ところが、今回のライブはコール禁止の無声援ライブ。正直どうなってしまうのか皆目見当がつかない。
むしろ、私たちは好きな人を目の前に「好き!」を堪えられる自信がない。なんせこの1年以上、「好き」を必死に抑えてきたのである。
コップの水は溢れるどころかダバダバと流れ広がり大海原と化している。いや本当にどうすんねん。
しかもそのライブすら、コロナでちょっと怪しい感じときた。いやどうすんねん。
だからこそ改めて思うのだ。
好きな人に「好き」って伝えられるのって本当に幸せなことなんだよって。
だから、その立場にいる人はガンガン伝えていってほしい。
今日すっごくどタイプな漫画を見つけて、作者さんも積極的にTwitterをやられていたので、迷わず言った、「めっちゃ好きです」って。そしてじんわりとあたたかくなった。
「好き」って受け取るばかりが幸せだと思われがちだが、伝えるほうも幸せになる。
私も次に推しにいつ「好き」って言えるかわからない。でも会ったときは、心からの「好き」を100回も10000000回も伝えようと思う。
※ちなみに「好きがコップから溢れちゃうマンガ」なんだったっけ、と思ったら『世界一初恋』でした。BL行ける人はぜひ!(笑)
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