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Photo by
shinsukesugie
「仕事」と名前をつけないから、気持ちよくできることがある
パソコンを開いていると「こんな遅くまで仕事をしていてエラいね!」と言われる。
でも、そんなことを言われたら言えない。「note書いていただけなんですぅ〜」なんて口が裂けても言えない。
一方で、漫画を読んだりゴロゴロしているわけでもないから、たしかに仕事っちゃ仕事なのかもしれない、と思う自分もいる。
そういうグレーゾーン的なものがわたしにはいっぱいある。SNSに投稿したり、ラジオで話したり、エッセイを書いたり、手帳を書いたり。
あとは部屋の掃除をしたり、つくりおきをしたり、旅行先についてリサーチをしたり、本を読んだり。
こうして並べてみると、たしかに一般的な「遊び」とはちょっと違うのかもしれない。友だちとお喋りするとか、ネトフリを見るとか、お出かけをするとか、そういう類のものではないから。
でも、自分のなかではこれらを「仕事」にカウントしたくない。そんなハードルの高いものにしたくない。自分、やりたいからやってるんですけどぉ⁉︎の範囲に留めておきたいのだ。
これはわたしだけかもしれないけど、「仕事」とラベリングされた途端に「ちゃんとやらなきゃ!」という気持ちが込み上げてくる。誰かに強制されているような、プレッシャーをかけられているような、そんな感じ。義務感を覚えるというのかな。
これまで遊び感覚でやってきたものが、実は仕事だった…と言われたら、何だかやりたくなくなってしまう。
自分のなかで仕事と認識していないからこそ、気持ちよくできるし、ゆるゆると続けられる。
やっていることすべてが仕事だと感じながら生きていくのは味気ない。たとえ仕事っぽかったとしても、自分のなかではあくまで好きでやっていることなのだという感覚を、忘れないようにしたい。
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