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「今の自分しか書けないことがある」と信じたい
じゃないとね、ぺしゃりと潰れてしまいそうな気持ちになるんです……。
ライターをやるなかで、前よりも少しずつ書けるようになってきたかも、と思う一方で、じゃあこれは「自分にしか書けないものなのか」とふと考えることがある。
そもそも自分にしか書けないものって、何なんだろう。
たとえばまったく同じ人に同じ質問内容で取材したとして、上がってくる原稿は同じなのかと言われたら、当たり前のように違った原稿が出てくると思う。
取材中に質問内容から逸れた思わぬエピソードが出てきて、それを深ぼっていくと気付けばテーマが変わっているかもしれないし、「おもしろい!」と思ったポイントもそれぞれ違うと思うし、書き方にだって個性は出てくる。
ただ、「これは本当に自分にしか書けないんだ!」と言われると、わからない。
たとえば、女性向けの記事だから、取材も女性にお願いしたいと依頼されることや、フリーランス向けだからこそ、フリーランスの人に担当してほしいと言われることはある。
でもそれは、あくまで自分の「属性」だ。
自分と思考がよく似ていて、スキルも同程度だったら似たようなものがあがってくるかもしれない。ましてや、もっと上手な人が書いたなら、もっといい原稿になるのかもしれない。
…そう考えると少し落ち込むところではあるけれど、それでも自分は、今の自分にしか書けないものがあると信じたいのだ。
自分の「知りたい」や「なんで?」や「解せない」という気持ち。
ライターを始めたばかりの3年前でもなく、逆に数年後でもなく、今の不完全な自分だからこそ聞けることがあるんじゃないかと、いつも必死に質問を練って考える。
世の中にはどちらかといえば「わからないこと」のほうが多くて、わからないからいつも相談をするように取材をする。
一方で、今の自分だからこそ書けないものもあると思う。
朱入れされた原稿を見て、「これは思いつかなかった…」と打ちひしがれることもあれば、大先輩の記事を読んで、「こんなふうには書けないな…」と尊敬の意とともに、自分に足りないものを並べてみる。
足りないものばかり考えて「自分にしか書けないものなんて、ない!」と嘆くのは嫌だから、事実はどうであれ信じたいのだ。
今の自分にしか書けないことがある。
これはひとつの祈りだ。たかが知れてるかもしれない経験値でも、積み上げている途中でも、持てるだけのものをパワーに変えていきたい。
そういうちっちゃなプライドを大事にしまって、今日も書く。
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