自由な国だからわたしが選ぶよ
やりたいことがあるのにうじうじとして一歩が踏み出せなかったり、今いる会社の不満を並べていたり、付き合っている彼氏の悪口を言っていたり。
そんなことはあまり珍しいことではないけれど、わたしはいつも「えっと、何と戦ってんの?」と思ってしまう。
というのもたぶん、わたし自身がこれまでに不自由さを感じることが多かったからだ。
親と喧嘩して家を飛び出して電車に乗ってピュンとどこかに行きたくても、カリフォルニア州のすみっこに電車は通っていなかったし、バスといえばスクールバスくらいしかなかったからせいぜい家のまわりを一周して帰ることしかできなかった。
夢を叶えたくてもがいても結局稼げる手段がなくて、出資してもらえる見込みなんてあるはずもないから就職という道を選ぶほかなかった。
そういう自分の置かれた環境上どうしようもないことで悩んだからこそ、「自分で動かせるシーンで我慢をする必要はない」という強い想いがある。
大人なら、大抵のことは自分で動かせる。
なぜかこの事実を知らない人は多い。
嫌な顔をして職場に通うことも、それはあなたが選んだことであって、誰かが「一生そこで働きなさい」と命令したわけじゃない。
嫌なことをしてくれる人に不満を募らせながら被害者面をすることも、誰かが「この人と一緒にいなさいね」と指示したわけじゃない。
ああしなさいこうしなさいと言われたわけじゃないのに、「だって仕方ないじゃないか!」と自分で諦めてそこに居座ることを選んでいるのはほかでもない自分なのである。
タイトルにある「自由な国だから」というのはモーニング娘。の曲名だ。
自由じゃない国はたくさんあって、かつて日本も自由な国じゃなかったと思う。好きな人と一緒にいることが許されなかったり、生まれながらにして階級が決められていたり、好きな仕事に就けなかったり。
じゃあ今はどうなのだろう。自分で好きになれる人を選べて、自分でやりたいことを選べるんじゃないだろうか。
それなのに、クソな彼氏の文句を言って「自分は誰にも愛されないんだ!」と嘆いていたり、うっかりやりたくもない仕事に就いて「上司にこき使われてる!」と喚くのはおかしな話だ。
仕方がない。本当に仕方がないのか。仕方がなくなる前にどれほど選択肢を並べられたのか。どれほど試行錯誤したのか。
自由な国だから。それは久方ぶりに戦争が起きてしまったことでハッとしたことでもある。平和でいることすら選べないこともあるのに、まず前提として平和があることのなんと幸福なことか。
わたしたちは選べる。少なくとも、「これをやれ」と言われて無理やり就職させられることも、政略結婚されることもない。
選べる立場でいることに気付いてほしい。自分を幸せにするのも不幸にするのも自分次第なのだと。
少なくとも大人は、自分の人生の舵は自分が握っているはずなのだから。
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