好きなことはみんな違うから、好きなことをしてもきっと大丈夫
わたしは文章を書くのが好きだ。イラストを描くのが好きだ。歌をうたうのが好きだ。
どれもそんなにお金にはならないかもしれないけど、やっているときは幸せだし、それをたくさんの人に見てほしいからアピールも欠かさない。
最近、ありがたいことにそんなわたしをサポートしたいと言ってくれる人がいた。
その人は、敏腕マネージャーとなって、わたしの苦手なものを全部巻き取ってしまった。
確定申告に必要なレシートを袋に突っ込んでぼん!と彼に預けると全部精査してくれる。
メールアカウントとTwitterアカウントを渡せば、大事な案件やDMだけ個別で知らせてくれ、返信も全部やってくれる。
1日の最初に、今日やるべきタスクをまとめて送り、進捗を確認してくれる。
ありがたい、と思う一方で、なんだか申し訳なさが募る。
メールチェックしたり、ぐちゃぐちゃのレシートを1枚1枚精査したり、そんなの自分だったら耐えられない。つまんない。
そんなことを思いながら仕事を振っていた。
でも、進捗確認の夜ごはん会で、それを吐露したら、どうもそうでもないらしいことがわかった。
話を聞くと、彼は文章を書くのも、イラストを描くのも別に好きではないし、自分からぐいぐいアピールしていくことも苦手だが、とにかく誰かを応援するのが好きなのだそうだ。
加えて、営業をかけたり、プレゼンをしたり、数字まわりなどを見るのも楽しくて好きらしい。
コミュ障で数字ナニソレワカンナイなわたしにとっては、もはや理解不能な別次元の人種である。
でも、そのときに思ったのは、自分の大嫌いなものを大好きな人が世の中には確実にいるということだ。
わたしは数字を見ると蕁麻疹が出るが、数式を解くのが気持ちいい、という人もいる。
わたしの部屋はカオスだが、それを喜んで片付けてくれる掃除好きの人もいる。
わたしは肉を焼きたくないが、BBQに参加すると自分で肉をマネジメントしたい人が必ずいる。
わたしは人と積極的に話すのが苦手だが、店頭での接客が好きな人もいる。
自分の『苦手』は、誰かにとっての『得意』なのだ。
例えば、現在なりたい職業の1位がYoutuberだが、Youtuberなんて絶対にやりたくない、という人もいるから、世界はYoutuberで溢れることはないんだと思う。
そう考えると、みんながそれぞれ好きなことをやっても、意外と世界はまわるのかもしれない。
綺麗事かもしれないけど、やりたくないことをやりたいひとが補うのが当たり前になったら。
やりたいことに尻込みしないで、思い切りやりたいことをやってみてもいいのだと思う。
BBQでの『肉を食べる』係も、『肉をマネジメントしたい』側にしてみれば、きっと必要な存在なのだ。
安心して、好きな肉を食べよう。