「ADHDがうらやましい」と言われた話
まさかそんな人がいるなんて思っても見なかったので、「ええぇっ⁉︎」と声が出てしまった。
最近、「ポンコツなわたしで、生きていく。」というエッセイを出しまして。
この本では、自身がADHDということにすら気付かないぐらいADHDなことや、生きづらさを感じてきたこと、そこからいい感じに働けるようになったことなどを赤裸々に話した。
そんな説明を初対面の人にしているときに、「でも僕は、ADHDがうらやましいですよ」と言われたのである。
何でも、彼の友人はADHDでちゃらんぽらんな面が多いけど、ひとたび過集中になったときのパワーがすごいんだそうな。
その、なんだかよくわからないパワー的なものに惹かれると。
たしかに、過集中というのはADHDの特性のひとつであり、良い方面に働くこともあれば悪い方面に働くこともある。
一度やりはじめたことを中断することがとても苦しく感じるため、目の前の洗い物をしていたら約束の時間に遅刻してしまうとか、カフェでちょっと仕事を始めたら完全納品までやってしまい飲み会に行けなかったとか、小説を最後まで読み切りたくてひとりオールするとかがザラなのである。
ここだけ切り取れば完全なる悪。
一方で、毎日のように火事場の馬鹿力のようなパワーを発揮できるので、気合を入れればその日に取材した原稿をその日中に即納できたり、引越し準備を半日でやってのけたり、15時間ぶっ通しでイラストを描きつづけられたりする。
良いも悪いも紙一重だけど、たしかに良い面だけ見ていると、スーパーマンのようである。
ADHD=大変な性質と思われがちだけど、今のわたしは実をいうと、このADHDというやつがそこまで嫌いじゃない。
先ほど挙げたように、ADHDはマイナスなことだけではないからだ。
実際、わたしはこの過集中性質に何度も救われてきたし、それが仕事の評価に繋がったこともあるし、たくさんの作品を世に放つこともできた。
でもきっと、そう思えるのは、自分の弱さを受け止めて、活躍できる場所を探したから。
まわりの人と比べつづけていると、「普通になれない自分」ばかりが浮き彫りになって、自己肯定感は下がっていくばかりだ。
「マイナスじゃない」と思えたのは、まわりと比べずに、自分の力が活きるフィールドを見つけたから。
そして、そんな場所ではADHDは虐げられることなく、むしろ「羨ましい」と言われるから不思議である。みにくいあひるの子みたいな気分だ。
弱さと強さは表裏一体。
なのであれば、虐げられる場所に留まりつづけるのではなく、特異が活かせる場所へ、「羨ましい」と言ってくれる人の側へいきたい。
世界は広いかもしれないけど、絶対にどこかにある。わたしは接客業から編集業へ異動しただけでもかなり生きやすさが変わった。案外、すぐそばにあるのかもしれない。
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