"体験"を"言語化"すれば、みんな有益になれるよ
「登壇してください」
そんな依頼が来たのは会社を辞める1ヶ月くらい前だった。
「な、何を?」
というのが率直な感想だった。むしろ、「17歳クリエイター」という怪しげな肩書きを持つ人によくメッセージを送ったな!とすら思った。
自分には、何が話せるんだろう。
話をもらって、改めて自分が普段やっている「発信」について考えてみた。
自分は、確固たる答えを持っているわけじゃない。
そもそも、正解というものは別に存在しないと思っている。
日々試行錯誤をしていくなかで、「なんとなくこれかな?」と思う不確かなものを自分なりに分析し、言語化する。それだけだ。
そして、それを自信なさげに発表してみたら、みんなが「めちゃくちゃ有益だ!」と頷いてくれたのだ。
なるほど、俗に言う「有益なノウハウ」ってこういうふうに生まれるんだな、と思った。
有益か無益か、と言うのはぶっちゃけ人それぞれである。
要するに、自分が知らないことは「有益」に感じるし、すでに知っているものに対しては「無益」だと感じるのだ。
つまるところ、わたしの講義を聞いて「有益」だと感じてくれた人は、たまたまそれを知らなかっただけなのである。
では、より多くの人に「有益」だと思ってもらうにはどうすればいいのか。
それは、「実体験」を語ることだ。
なぜなら、「体験」と言うのはその人だけのものだし、言語化しない限りは世に出ることもない。
あなたが無意識のうちにやっている、無益に感じられるその行為が、体験したことのない誰かにとっては「有益」なのだ。
それは、普通に日常を過ごしているだけではわからない。
私だって、今回登壇の話をいただかなければ言語化しようとする気はなかったし、ましてや自分の発信に何かロジックがあるかなんて考えたこともなかった。
体験を、言語化する。
それだけのシンプルなことで、自分は無益だと信じ込んでいる人も有益な人に大変身する。
今回、私は自分の体験を言語化したことで、うっかり誰かにとっての有益な人になってしまった。
でも、私だってもともとは客席で座って有益な講義を「なるほど〜」と言って聞いていただけの人だ。
あなたにとって有益か無益かはわからないけれど、気になる人は #ゆぴの無益セミナー でぜひ検索してみてね。
「有益」になってみたい人は、何かヒントが見つかるかもしれない。