もうこれ以上「ワガママ」に呪いをかけるのをやめてほしい
この記事を更新したところ、母からこんなLINEが来た。
自分が心地良い裏で、誰かが不快なこともある。難しいけど、ワガママとマイペースは紙一重。ワガママな人は、自分が1番可愛くて、自分のことしか考えてないから、きっと自分は幸せ。でも、ワガママな人と一緒にいる人は、疲れたり不快な思いをする。人との関係はそのバランスの取り方だと思うな
わたしはこれに対して強く反発がしたくなった。
ワガママな人は、自分が1番可愛くて、自分のことしか考えてないから、きっと自分は幸せ。でも、ワガママな人と一緒にいる人は、疲れたり不快な思いをする。
ワガママな人は、自分が1番可愛くて、自分のことしか考えてないから、きっと自分は幸せ。果たして本当にそうなんだろうか。ワガママ万能すぎんか。
「あなたはワガママなのだ」と言われても、「ワガママの尺度」は人それぞれ違うのではと思ってしまう。ちょっと自分の意見を言うだけで「この人はワガママだな」と思う人もいれば、「意見を言ってくれてありがたい」と思う人もいるだろう。さらに、それを定義されるのもまた違うと思う。
むしろ、「ワガママ=幸せ」ならば、もれなく全人類ワガママになったほうが良いのではとすら思ってしまう。
「ワガママ」というのは呪いのワードだ。
幼稚園生のときなんて、「○○ちゃんはワガママだから」なんてママ同士で話しているのを聞いて、「ワガママだとこんなふうに言われちゃうんだな」と幼心に思ったのを覚えている。
「ワガママになっちゃいけない」と言いたいことを飲み込んだり、やりたいことを我慢したりする幼少期を過ごした人はたくさんいると思う。
「我儘」と辞書で引くと、「他人や周囲などの都合や事情を考えずに、自分勝手に振舞ったり発言したりすること」と出てくる。
一方で、最近では「ワガママに生きる」と使われるように、「ありのまま」「思うがまま」という意味合いもはらんでいる。抑圧された環境から飛び出して「ワガママに生きようよ!」というムーブメントすら起きている気がする。
言葉の意味は時代とともに変容していく。わたしの言う「ワガママ」は、子どものように駄々をこねてその場に座り込んでテコでも動かないことじゃないし、仕事がしたくないからと言って途中で放棄したりすることでもないのに。
わたしがさっきから何に対して反発しているかというと、「ワガママ=あるがまま生きること=ダメなこと」という認識が広まることで、我慢して苦しくなってしまう人が増えてしまうこと。
だからこそ、あえて一切「ワガママ」というワードを使わずに、「心地よさ」と表現して文章を書いたのに、すべてが「ワガママ」に変換されたことにわたしは怒った。
「ワガママでいいんだよ」と言われても、きっとワガママをネガティブに捉えている人は素直に受け入れてはくれないだろう。でも「自分にとって心地よく生きようよ」と言われたら、うん、その提案は良いかもしれない、と思ってくれるかもしれない。
少しずつ解いてほしいのだ。「ワガママになっちゃいけない」の呪いを。そして気付いてほしいのだ。あなたのワガママは大したワガママじゃないことに。
「自分の好きな仕事がしたい」「旅に出たい」「熱が出たからシフトを代わってほしい」「たまには1日ダラダラしたい」「弱音を吐いてみたい」
ねぇこれってワガママなの? わたしは全然ワガママだと思わないよ。