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書くのがしんどいなら辞めたらいい。ただ、
わたしはいま、「書く+a」のスキルを身につけるスクール「Marble」を運営している。
そこでは、「インタビューライター」「編集」「広報」の3職種についての講義があるのだけど、どれも「書く」を起点とした仕事だと思っている。
相手の話を聞いて文字に起こすインタビューライター。それをチェックしてよりよい原稿にする編集。広めるためにあらゆる手段を考える広報。
この3つの仕事を知っていれば、3つの仕事を横断できるのはもちろん、ひとつの仕事をより尖らせることもできる。
編集視点のあるインタビューライターは強い。どうしたら読みやすくなるかを考えられる。ここに広報視点が加わると、届けたい相手と目的を明確にして書くことができる。
インタビューライターのことを知っている広報も強い。広報手段のなかに「インタビュー」が加わる。かかる工数を把握してお願いすることができる。ディレクションが的確になる。
広報を知っている編集も強い。届けやすさを意識した記事を作ったり、SNSと連動した企画を提案できたりする。
…と考えると、やっぱり基盤となるのは「書くこと」なのである。
でも、おもしろいのが、わたしの知り合いのライターや編集者のなかには、「書くことがしんどい」と思っている人が一定数いることだ。
いい感じの原稿を上げながらも、「別に書くことは好きじゃない」と言っているライターの友だちは、ライティングのことを手段だと捉えている。
取材ライターとして話を聞くのは好きなので、ライティングはあくまでおまけ。もちろん生半可な原稿は上げないけど、彼女が本当に好きなのは「聞くこと」なのである。
また、とある編集者の子は、自分がライターとして書きつづけることに限界を覚えて、編集側にまわった。
これは珍しい話じゃない。わたしも担当してくれている編集さんに、なぜ編集者になったのかを尋ねると、「自分で書くのは大変だから」と言っていた。
書きたくないけど、コンテンツは作りたい。
そんな人たちは、ちょっとだけ道をズラしながらも、書く人たちに寄り添って一緒に仕事をする。
大事なのは、この人たちは「書くのがしんどい」ながらも「書ける」ことである。
実際に目の当たりにしてみると、ショックを受けると思う。
自分は書くことが好きだと思っていたのに、いざ仕事としてやってみたら全然おもしろくなかった、とか。
天職だと思って取り組んでいたのに、なかなか筆が進まない、とか。
でも、やっぱりこうして好き放題書き散らかすのと、仕事として誰かの利益のために書くのとでは全然別物なのだ。
わたしだって、あーしんどいな、と思うことも少なくない。それでも書きつづけられているのは、これが1番自分にとってはラクだからである。
話すよりも喋るよりも書くほうが圧倒的にラクだからである。
でも、自分は書くことが好きじゃないと気付いてしまっても、筆を折る必要はない。
書くことが好きじゃなくても、ライターの別のところに楽しみを見出せているのならそのままライターをすればいい。
それが無理なら、前線で書き続けるライターじゃなくて、ライターを後押しする編集になればいい。広報になればいい。
あるいは、全然違う職種を選んで、趣味で書くことを選んでもいい。
文章が好きだからライターになった。
というのは綺麗に聞こえるかもしれない。でも、極論自分が書かなくたって、関わっていく道はいくらだってある。
ただ、何を選ぶにせよ、ある程度書けることに越したことはないと思うから。
根幹となるスキルとして、ライティングスキルを身につけることは絶対に無駄にならないと思う。
そろそろ、スクールの生徒さんたちはそれぞれの道を選ぶ時期になるけれど。真剣に向き合って磨いたことは無駄にならないと伝えたい。たとえライターを選ばなかったとしても。
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