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「どうして?」と問い続ける
「良かれ」と思ってやったことがマイナスに働くことがたまにあると思う。
相手のためにやったことが意外と喜ばれなかったり、余計なお世話になってしまったり。
じゃあ、どうしてそんなことが起きるのかというと、「想像力」が足りていないから、これに尽きる。
そして私は、事務仕事をすればするほど、この「想像力」はなくなってしまうように思った。
「言われたことをそのままやる」って実はとても簡単なことなのである。
「これをやっておいて」という指示をもらい、そのとおりにやればまず怒られることはない。
事務作業にはこの能力が求められていると思う。何故って、営業にはいちいち事務処理の内容を事細かに説明するほどの余裕はないから。
ましてや、その説明の手間を挟まないための事務担当だったりもするわけで。
だから、会社における優秀な事務というのは、言われたことをそのままやってくれる人なのだと思う。そこから一歩踏み込むと、また別の職種名がつけられるんだろう。
でも、言われたことを淡々とやっていると、「意味を問う」ことをしなくなっていく。
「どうして?」「なんで?」
昔は無邪気に聞けていたことが聞けなくなる。「質問はありますか?」の言葉に少し間を置いてからためらいがちに手を挙げるような人たちばかりだもの。
でも、どのくらいの人たちが、どれだけの粒度で「どうして?」と問えるのだろう。
今日は、稽古で「座って台本を読んでね」と言われたのに、役のある人は立ったほうが声が出るだろうと踏んでみんなで立ってやる、ということがあった。
でも、先生の真意はそこではなかった。
座ることで、身体に力の入らない状態でまずはリラックスして演じてほしかったのだった。
これには「やってしまった」と思った。
「座る」ことは意味のないことではなく、ちゃんと目的があったのだ。
「どうして?」と考えられていたら、座ったまま、何なら背すじも伸ばさずラク〜な姿勢で演技だけに集中してやったはずなのに。
意外と人って思考停止しているんだな、とゾッとした。先生の言葉を一言も聞き漏らすまい、と熱心に聞いている時間すら、考えずに聞いて返事をしているだけだったらしい。
小さな違和感に蓋をせず、「どうして?」を忘れないようにしたい。
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