見出し画像

わたしよりも先にいなくなってしまう人たちへ

おじいちゃんが入院したとお母さんからLINEがきた。

ちょうどわたしは冷蔵庫の残り野菜を鍋に放り込んでキムチ鍋をつくっているときで、どうしたら良いのかわからずに「ショック」を示す絵文字を送った。

言葉にできなかった。

本当に驚いたとき、口からは何も出てこないのだと知った。

そのときに、おじいちゃんも、おばあちゃんも、今やりとりをしているお母さんも、お父さんも、そういえば自分よりも先にいなくなっちゃう人なんだったとも思い出してしまった。

すっかり忘れていたらしい。

自分には恵まれているなと思うことがふたつある。それは、とてつもなく健康優良児であること。一度も大きな病にかかって入院をしたことがない。

もうひとつ、死と隣り合わせじゃないこと。

妹が小学生のとき坂道を転がり落ちて入院したことはあったし、お母さんは頭痛持ちで逆流性食道炎だし、おばあちゃんはヘルペスに悩んでいるけれど、それでも一般的な「元気」の定義のなかに入っているくらいだった。

たまに実家に帰ると、一緒にドラマを観て笑ったり、父と母のどうでもいい喧嘩の話をしたりして、なんというか、全然「死の香り」がしないのが当たり前だった。

農家であるおばあちゃんちで採れる野菜はおいしくて、家族みんなで食べていて、こんな健康的なものを食べて、緑に囲まれて暮らしているのだから、病気になるわけがない。死ぬわけがない。

なーんて思いながら生きていたんだと思う。

おじいちゃんは、もともとベビースモーカーだった。

しかし、小学生のころ、保健体育の授業で喫煙者の真っ黒な肺を見たことがショックですぐさまおじいちゃんに見せにいった結果、その日からピタリとタバコを吸うことをやめて、代わりにキシリトールガムを噛むようになった。

おばあちゃんにもお母さんにも止められなかった喫煙を止めたことは、未だに家族のなかで話題になる。

でも、そうやって身体に悪い原因をがんばって取り除いていったとしても、絶対にみんなわたしより先にいなくなってしまう。

身体に良いものを食べて、健康的な暮らしをして、悪い習慣をやめて、それでもいなくなっちゃうならわたしはどうしたらいいんだろう。

わたしには死ぬ予定はまだない。

でも、これからいろんな死を見なきゃいけないのはとても嫌だ。想像しただけで泣いてしまう。死に対する耐性が1ミリもない。SFで科学者が不老不死について研究するのも頷ける。生きていてほしい。

人が弱っていくのを、死ぬのを見るほうがずっとずっと怖い。

本当に久しぶりに人の死に触れて、生きるのってやっぱりしんどい…と落ち込んだ。

================================================

ここまで勢いよくバババッと書いてから、しばらく続きを書けずに下書きに眠っていたのだが、後日談がある。

未来志向気味のわたしはあれこれ想像して、めちゃくちゃ泣いて、重い気持ちで実家に帰った。

どんよりと迎えられる想像をしながらチャイムを押すと、「久しぶり〜!」と明るいテンションで母が出てきて涙が引っ込んだ。

聞けば、左手の指に少し麻痺は残ってしまったが、リハビリ次第で乗り越えられるらしく、ピンピンしているとのことだった。

…よ、良かった………!!!!!!!!!

「もうダメかと思ってお別れのようなnote書いてしまったわ」と言ったら、「まだ大丈夫よ!」と笑われた。母が着替えを届けに行った病室で、おじいちゃんは大きく手を振っていたそうだ。(コロナなので近くまでいけない)


胸を撫で下ろしつつ、「こんなに健康的な生活をして、喫煙しなくても病気になってしまうんだね」と言ったら、「それ以前に30年以上も吸っていたから、それはチャラにならないよね」と言われた。

元気なときの無茶って取り返せない。

わたしの最近のテーマは「いかに自分に負荷をかけずに生きるか」なので、改めて日々の生活について考えてしまった。けん

わたしよりも先にいなくなってしまう人たちへ。

たっぷり睡眠をとって、身体に良いものを食べて、程よく運動して、湯船にちゃんと浸かって、いっぱい笑って、たまには気分転換に遠出をして、無理せず仕事を楽しんで、願わくばわたしより先にいなくならないように生きてください。

突然ふっと消えたらだめだよ。

サポートは牛乳ぷりん貯金しましゅ