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誰でもなく、自分のために荷物を持つこと

「『かっこいい人になりたい』って卒業文集に書いたんだよね」

…とその大学生は言った。

長崎旅行で出会った彼は、髪を金色に染めて明るいTシャツを身に纏い、いかにも大学生という感じがするのにずいぶんと大人びて見えた。

率先して荷物を持ってくれたり、部屋まで送ってくれたりと細やかな気配りができるのはもちろん、私がみんなのぶんまでまとめて支払った餃子の代金を、私のスマホを手にしてPayPay集金にまわってくれたのには心底驚いた。

「どうしてそんなに気配りができるの?」

と尋ねると、彼は冒頭の言葉を返してくれた。あくまで彼は「こうありたい自分」に忠実に生きているだけで、リターンを求めているわけではないのだ。

わたしはいわゆる体育会系のコミュニティに所属したことはほとんどないし、身体が動くのもワンテンポ遅い。その自覚もある。

中学時代に率先して片付けをするのは「みんながやっていた」からだし、営業時代にエレベーターのドアを押さえるのも「営業として当たり前だから」だし、声優の養成所で手を挙げるのも「アピールしたいから」だった。

決して自分の在り方に忠実でいたいから動いていたわけじゃない。何かしらのリターンのために外部の要求に応えていただけだったのだ。

以前、何を言わずとも荷物を持ってくれる男性がいて、「男性はモテるためにそういうことをしてくれるのか」という話をしたとき、彼は「持ちたいから持っている」と言った。

そういうものなのか、と思い、それ以降は甘えることにした。また、女の子でも一緒に買い物をしたときにいつも荷物を持ってくれる友だちにも同様の質問をしたことがあるが、そのときも「持ちたいから持っている」と言われた。

「持ちたいから持つ」。

わたしは非力ですぐに腕が痛くなるので、できるだけ重いものは持ちたくないと思ってしまう。だからこそ、このふたりの回答はすごく新鮮なものに映った。

あるとき、わたしよりも筋力のある人がわたしよりも軽いものを持つものだから、交換しようと言ったら、「どうして男だからといって荷物を持たなきゃいけないの?」と言われたとき、どう返答すればいいのか迷った。

「男が荷物を持つのなら、女は何をしてくれるの?」と言われて、ううんと考えたのち、「うーん、癒しを与えている??」とおどけて見せたが、未だに正しい答えがわからずにいる。

男だから持つとか女だから持たないとか。そういうんじゃなくて、わたしは「持ちたいから持つんだよ」と言ってほしかったのかもしれない。

そんな話を大学生にしたら、「癒しを与えるってめっちゃいいね、俺好き」と笑った。

世の中はすべて等価交換なのかといえばわからないけれど、少なくともわたしが与えているのかもしれない「癒し」を良いものとして受け取ってもらえたのは嬉しかった。

こうすべきとか、ああすべきとか。

たくさんのルールがあるかもしれないけど、少なくとも「自分のために」やれば傷つくことはないのかもしれない。

自分が無意識にやっていること。それは相手の荷物を持つことじゃないかもしれないけど、たとえば、ワガママを言うことをありがたがってくれる人もいるし、笑ってるだけで幸せを感じてくれる人もいる。

自分の幸せのためにやっていることが、まわりまわって誰かのためになるのなら、それをありがたがってくれる人と一緒にいられたらより幸せだなぁと思った。

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