「好き」は余白がないと生まれない
1年ぶりに海外旅行に行ってきた。
年末あたりにツイッターで見かけた「フィジーに行きたい人、いませんか?」の投稿。
当時、退職をするかしないかで揺れていた私は、思わずその投稿に返信をした。旅行の日程は4/2から4/5のバリバリ新年度はじめ。とてもじゃないが、普通の会社員として行ける日程じゃない。
でも、逆にこの旅行を押さえてしまえばもう逃げられないんじゃないか。
そんななかなかにヘビーな思いを乗せてフィジー行きを決意したのであった。
そして、いざフィジーに着いてみると、なんだかソワソワした。
ド平日の真昼間。自分がこうしているあいだにも、前職の人たちはわたしのぶんまで働いているんだろうな、なんて考えると何かを生み出さなくちゃいけないような気がして、スマホを開いてしまう。
しかし、フィジーのwi-fiはとても微弱で、原稿を書くくらいしかできない。
諦めてスマホを閉じ、顔を上げた。嘘みたいに透き通った水面をボンヤリと眺めながらふっと思った。
あぁ、小説が読みたいなぁ。
びっくりした。
小説なんて、気付けば1年以上も読んでいなかったのだ。
もともと本好きで、毎日のように本を読んでいたのにいつからか、日々に忙殺されて本を読まなくなってしまっていた。たまに本屋に行って、新しい小説が出てるなぁなんてチェックはするけれど、どうせ読む時間はないからと手に取りもしなかった。
そんな小説を、改めて読みたいと思ったのだ。
先日、「趣味がない」と悩む人に向けて、行動心理コンサルタントの方に取材をした。
https://r25.jp/article/660659926077038959
すると、そもそも心に余白のない人は、好きなものが見つからないのだと言った。
「好き」は「余白」で生まれるものなのだ。
それを取材時は「へぇー」なんて思いながら聞いていたのだが、まさか自分がそれをダイレクトに実感するなんて思ってもみなかった。
「時間がもったいないから予定を詰め込まなくちゃ」「社会人だからちゃんとしなくちゃ」と思い込みすぎて、気付けば好きなものを手放してしまっていたんだな、と思った。
他にも、旅行中に漫画やアニメの話をして、ああそうか、もう徹夜しながら漫画を読んだりアニメを観たりしてもいいんだぁ、と思ったりもした。
「好き」って意外と脆い。
好きだと思っているうちはそれが人生の糧になったりするのに、忙しくなって心の余裕をなくしてしまうとすぐ、「好き」なものを忘れてしまう。
だからわたしはもう、「好き」を失わないように、ちゃんと「余白」を意識しながらこれからを過ごそうと決めた。
みんなの、生活にもそんな、何かを好きになれる「余白」がありますように。
Photo by ZICCO