友だちへ。みんなはどういうつもりで私と一緒にいるわけ?教えて?
これは私の命題でもあるんだけど、ほんっとーに昔から人付き合いが苦手でして。
なんで苦手かというと、合わせるのが超難しいからです。「これ、かわいいね」と言われたら、「ほんとだ、かわいい」って言うことにめちゃくちゃ違和感があるというか。
「え?そうかなぁ?」とか言っちゃうのがわたしであり、それによって「なんだアイツ」ってなることもたくさんあったと思います。幼少期は母が家に呼んだ同い年の子たち2人を放って、本読んでるような女児だったので、マイペースだし空気を読めねぇの。
一方で、少し成長してくると「大変だけど馴染みたいな〜」と思うようになり、話が合わないなかで頑張って合わせてみたり、行きたくない誘いにも行ってみたりしたわけだけど、まぁ疲れるじゃん。で、それが態度に出ちゃったりするから、相手にも「無理してんのかな」と思わせてしまう。
とはいえ、そのなかで自分を貫くほどの勇気もないので、なんとなく誘いを受けて、なんとなく会話して、そろそろひとりになりたいなぁと思ってもなんとなくそこにいる感じ。これがまだ一匹狼として吹っ切れたのなら良かったんだけど。
でも、そんなわたしにも、人生のいろんな瞬間で大事にしたいと思えるような友だちはいたわけです。
一緒にいても気を遣わなくて、くだらないことで笑い合えて、真剣な話には寄り添いあえて。
いろんな子たちがいるけど、総じて言えるのはみんなキャパが広くて自分の大事にしている世界があって、そのなかにわたしを入れてくれているということ。
わたしが1時間遅刻するなかで2時間遅刻したりとか、夢中になれることや好きなものがたくさんあったりとか、「うちらマジノープランすぎん?」と無計画を楽しんだりとか、「いーよいーよ、むしろやりたい」と苦手なことをカバーしてくれたりとか、「好きだよ」と伝えてくれたりとか。
そのなかでお互いに話を聞いて、聞いてもらって、会いたいときに会って、って感じで無理なく生きてきたわけですが、最近「実は合わせてもらっているだけなのかもしれない」ということに気付いたんですよ。
たとえば、わたしには苦手なことやダメなこともたくさんあって、それを素直に伝えるようにしてきたし、ストレートに言っちゃう癖とか、友だちには「赤ちゃんみたいでわかりやすくて良い」とか言われるけど、裏を返せばデリカシーはまったくないわけで、それで嫌な想いをさせてきたこともあるかもしれない。
でもさ〜、わたしは言われないとわからないんですよね。少なくとも今「会いたい」って言ってくれているということは、わたしのこと好きってことだよね! という確信のもとに生きてきたけど。でもでも、本音と建前って違うかもしれないじゃん?
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