「なんでもいいよ」は不自由さを加速させる言葉
「自由」って何なんですかね。
ことフリーランスにおいては「自由」という言葉とセットで語られがちなんだけど、フリーランス=特定の企業・団体・組織に所属して仕事をしていない人ってだけで、要するに何をするにもひとりで仕事をしているだけのぼっちヒューマンだと思うのはわたしだけでしょうか。
働く場所や時間、やることを選択できるという点では「自由」かもしれないけど、一方で仕事をするにもクライアントがいるのですべてが自由というわけではない。
むしろ、就業時間や休日がないぶん、「ここは休んでいいですよー」という許容ラインのない不自由さだってある。
「なんでもいいよ」って実は不自由なのである。
何をやってもいい。どの仕事を選んでもいい。いつ休んでもいい。
それを決めるのはまだ良いが、自分の生活が担保できつつ、未来の種まきになるような選択をしていくってなかなかのプレッシャーだ。全然自由感がない。
たとえるなら自分でテストの問題と解答を作って自己採点して誰にも褒められないような感じ。
目指すべき得点があって、決められた期間があって、そこに到達できるならどんなやり方でもいいよー、そしたら褒めてあげるよー、とざっくり決められた枠組み内でやっているほうがよほど達成感がある。
最近新規事業の立ち上げに小指だけ参画することがあって、その様子を見ていたら、やっぱり大枠は決まっているみたいだった。
はじめにやりたいことがあって、実現するために予算との兼ね合いも考えて、ニーズの方向に転換させていって、意見を取り入れつつ、目標数値に向けて進んでいく…っていう。
まあそりゃあそうか、という感じだけど、この状態がたぶん「自由にやらせてもらえる」状態。
仕事って、自分のやりたいことがあって、それがたまたま世間にニーズがあって、お金もまぁまぁもらえる状態で、といろいろ条件が揃わないと本当の意味で「自由にできる」状態にはならないのだと思うけど、まず自分のやりたいことが、必要とされている場所にいくのがすごく大事だ。
フリーランスだって、そうやってひとつひとつ、自分のやりたいことと、世間の声とを照らし合わせながら決めていく。
「何食べたい?」と言われて「なんでもいいよ」と答えると相手が微妙な顔をするのはお決まりのパターンだが、仕事も同じで、「何したい?」に「なんでもいいよ」なんて答えると仕事にならない。
わたしは器用貧乏代表格なので、「何したい?」にズバッと答えられない。あれもしたい、これもしたいってなる。でもそれは、すごく不自由なのだ。
やりたいことがある。
雇用形態に限らず、それが、不自由から抜け出すための第一歩なのかなと思う。