自分のためにやるだけじゃ、幸せにはなれない
2018年6月から在籍していた『ヤるサロン』が本日を持って解体した。
発足から2年近くの歴史があるなかで、わたしがいたのはほんの半年間。他のメンバーに比べれば、きっと思い出も思い入れも足りないと思う。うまく活用できたか、と言われると自信がないし、中心メンバーでもない。
でも、このnoteのタイトルにした、代表のあんちゃさんの最後の言葉を聞いて、本質的には人見知りな自分が「コミュニティ」にいる意義がなんとなく見えた気がしたので、それをここに残しておきたいと思う。
「コミュニティ」というのは、大前提ちょっぴり面倒くさい。
第1期メンバーと、それ以降のメンバーとのなんとなく埋まることのない差。居心地のよい場所に新参者が来た瞬間はやっぱり少し緊張が走るし、逆に新参者側も大きな不安を抱えながら輪のなかに溶け込もうとする。
創業メンバーは内輪ノリを守るためにコミュニティのなかでまた小さなコミュニティを作るし、新参者も然りだ。
何度も繰り返される同じ自己紹介。いい噂も悪い噂もすべて筒抜けで、自分の知らないところで何か集まりがあると不安になって、流れの速いスレッドに乗り遅れて落ち込んで。
要するに、ひとりのほうが気楽なのだ。
わたしも、長いことずっとひとりでブログや絵を描き続け、自分のためだけに発信を続けてきた。文章も絵も、自分の感情を吐き出す道具でしかなかった。
でも、そんなわたしでも今年に入って5つのオンラインコミュニティに入った。はじめの動機は、ひとりじゃなくて、発信のモチベーションを上げてくれるような仲間がほしい、という「寂しさ」からだった。
でも、コミュニティのなかで人と関わるうちに、最近、自分のアウトプットの方向がなんとなく変わっていることに気付いた。
自分のためだったはずの発信が、なんとなく誰かに向けての発信になっているのだ。
自分の本心なんて誰にも知られたくなかったから、わざと変な言い回しを使って、意味深な言葉で文章を綴っていた昔と比べて、10月から書いているこのnoteは、誰かをすくい上げるような言葉が並んでいる。
それは、コミュニティにいると、「誰かのために何かをする」のがあたりまえになるからなんだと思う。
自分のための創作は楽しい。でも、誰かのための創作は、その先に誰かの笑顔があるからもっと楽しい。
与えて与えて与えまくることは、一見とても損のように思える。
でも、何もテイクするものがなくても、それが当たり前で、それが幸せになっていく。
それは、人と関わらなければ一生知ることのない「幸せ」の形だ。
自分のためにやるだけじゃ、幸せにはなれない。
人との繋がりだけじゃない、そんな大切なことに気付けるのが、コミュニティなのかもしれない。