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友だちが少ない? 少なくていいじゃん!
誠に残念ながら人付き合いが苦手なので、いつも「たった1人」としか仲良くできなかった。
いわゆる「ニコイチ」というやつで、どこに行くにも、何をするにも一緒。だから、その子がおやすみのときは最高に孤独だし、お互いにそれは然りだった。
それでも、誰が何を考えているのかわからなかったり、影でメンバーの悪口を言ったりと何かと崩壊しがちな複数人グループに比べ、お互いがお互いのことを考えていればそれでいい「一対一」の関係はとても心地がよかった。
それなのに、大きくなるにつれ、「友だちをたくさん作らなくちゃ」という気持ちが芽生え始めた。
人脈は、広げたほうがいい。
たくさんの人と仲良くしておいたほうがいい。
なんとなくそう思い、大きなグループに属し始めた。
そうやってたくさんの人と関わってきて、残ったものはなんだろう。
もちろん、仲の良い人はたくさんできたし、楽しいことも多々あった。
でも何故か、多くの人の輪の中にいればいるほど、「孤独」を感じた。
このなかで、わたしのことを1番大好きでいてくれる人はいるのだろうか、とか、わたしはこの人のことが好きだけど、果たして相手は同じくらい好きなのか、とかさまざまな思いを巡らせた。
たぶん、友だちづきあいには2パターンあって、サラッとライトに付き合いたい人もいれば、お互いのことをよく知って、心の底からの親友として付き合っていきたい人もいる。
それで考えてみると、わたしは圧倒的に後者だし、自分のキャパ的にたったひとりしか大切にできないことを、身をもって知った。
今、1番仲がいい人は、笑っちゃうことに、8歳のときから仲がいい小学校の友だちだ。
中学も高校も、属しているクラスタも趣味も何もかも違うのに、わたしは未だに彼女と月に2回のペースで会っている。
そして、もうそれだけでなんだか満足してしまっている。
たとえ、友だちが全員いなくなっても、彼女がいるならそれでいいや。
たったひとりだけだけど、たったひとりが自分をずっと好きでいてくれる、という確信があれば、ぶっちゃけ全人間関係が崩壊し、世界のすべてが敵になっちゃってもいいや、と思えちゃうのである。
たったひとりの友だちだけで、すべての悩みが消えてなくなる。
だから、悩みごとは尽きないけれど、きっと彼女がいる限り、わたしの悩みごとは実質ゼロなのだ。
だから、友だち少ないなぁ、とか、結婚式に呼べるほどの友だちはあんまりいないなぁ、とかFacebookの友だちが少ないなぁ、とかもう本当にどうでもいいと思う。
友だちは、たったひとりいたら、それできっと大丈夫。
以上、「ピンチ」を訴えた友だちのために仕事後町田まで駆けつけている電車のなかから、ゆぴでした。明日、着ている服が同じでも、突っ込んじゃダメだよ。
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