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それでもわたしは「承認」されたい
最近『CLANNAD』というアニメを観ている。
以前観たときは学生だったのだが、社会に出てから改めて観てみると、また違った発見があって面白い。
この前、主人公が高校を卒業し、生まれて初めて働きに出て、数多の失敗を繰り返したのちに上司に働きぶりを褒められるシーンがあった。
思わず顔がほころぶ主人公を観ながら、「ウンウンわかる、仕事で承認されるって超嬉しいよね〜!!!ワカルゥ〜!!」と300回頷いた。
でも、そんな気持ちとは裏腹に、他者を介してでしか自分の承認欲求を満たせないのは人として未熟だとも思っていた。
人間関係に悩むときとか、自信をなくしたときとか、「こんなとき、自分で自分のことを満たせる人だったら悩まずに済むのに」と思ってしまう。
他人の一言に一喜一憂するのって振り回されているような気がして嫌だ。
うまく書けたと思っていたものが、一瞬でくるっと駄作と化すのを見るのはしんどいし、自分の抱いていた自信を信じられなくなってしまう。
でも、やっぱり「誰かに承認されたい」と願うことをやめられない。
認められたい。
褒められたい。
「頑張ったね」って言ってほしい。
口に出してみると、すごく青くさい。でも、それが本音だ。
「自分で自分を認めてあげよう」とはよく言うけれど、他人から認められるためにやれることもあるんだよ。
「承認されたい」って欲求で動くことは恥ずかしいかもしれないけど、まわりからの承認を積み重ねて自分の自信にしていけるんだよ。
だから、「誰かに褒められたところで、自分が納得しなきゃ、ねぇ」と思わずに、堂々と承認されにいこうと思う。
わたしは承認されたい。
だから今日も文章を書く。
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