「面白かった」の一言でおわらない人になるために
わたしが小学生のころ、「お話きいて」というコーナーが帰りの会であった。
ルールは至ってシンプルで、何か話したいことがある人が手を挙げ、無事にさされたら「お話きいて」という。それに合わせて、クラスメイトが「はい、どうぞ」と言い、その後手を挙げた人が「昨日ね、お母さんがね〜」といった調子で話しはじめる。
この、「自分が見聞きしたものを誰かに話す」というのは結構大事なことだなぁと今は思う。
「誰かに話したぁい!」と思えるような出来事があって、それを相手に伝えていくうちに、「あぁそうか、自分はこんなことを考えていて、こんなところを面白く感じているんだなぁ」とわかるから面白い。
わたしのまわりにはカウンセラーっぽい人が多いので、「そうなんだ、それで、どこがゆぴ的に刺さったの?」とか、「じゃあそれがゆぴの大切にしている価値観なんだね」と深堀りをしてくれる。
そうやって聞かれるうちに、自分のなかでも物事の捉え方が変わってきた。たとえば、何かひとつ漫画をオススメするにしても、「何が」「どう」面白かったかを言えないと相手は納得して受け取ってくれない。
だから、コンテンツを消費している段階で、自分のなかで自己分析をしていたりする。ここ面白いな。あぁ私はここを面白いと感じるんだ。なんでだろう?というふうに自問自答する。
そうやって思考をまとめる練習をしていると、言葉が出やすくなる。
咄嗟に感想を聞かれたときも、「面白かった」だけじゃない言葉が出てくるようになる。
どうせ有限の時間でコンテンツを消費するのなら、受け取れるものは多くあったほうが良いし、出すものだって良いものでありたいから、「面白かったよ」で終わってしまうような時間の過ごし方はしたくないじゃない。
「お話、きいて」の前提で生きてみると、もっともっと人生は面白くなっていくはず。