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自分のために、自分を演じてみよう
先日知り合った人たちと「人見知り」の話になった。
わたしは自分からは人見知りとは最初に言わないが、話の流れで「人見知りなんだよ」とこぼすと、えっ!と驚かれる。
そりゃあ、驚くよなぁと思う。
わたしもわたしで随分と人見知りを隠すのがうまくなったなぁ、と喜んでいるくらいだ。
で、どうしてこれができるかというと、それはわたしが声優を志していることが関係している。
声優は、声の仕事とはいえ、根本的には役者である。
倒れたときの声を出せるようになるには、実際に倒れてみて出てきたときの「うっ」という声の出し方を覚えておいて、それを身体を動かさずに再現していく感じだ。
そして、役者だからもちろん自分以外になりきって演技をする。
台本に書かれているものすべてだけではなく、このキャラクターはどんな生い立ちで、普段はどんな食べ物をどんなふうに食べて、どんなふうに眠るんだろう、なんてところまで想像をめぐらせる。
それが、自分自身の生き方にも、ちょっと適応されている。
わたしは、こういうときどういう動きをするだろう、と考えるのだ。
要するに、自分自身のことでありながら、ちょっとだけ俯瞰して見ているのである。
それは、自分の人生であることに変わりはないんだけれども、どこか他人事のようでもある。
物事の取捨選択も、そうやって行われていく。
わたしはこれが得意だから、きっと力を発揮できるだろう。
わたしはこれをやったほうが、わたしの今後のためになるだろう。
別に嘘をついているわけじゃない。
ただ、何がわたしの人生にとって最善なのかを、離れたところから考えているのだ。
それでいくと、わたしが思うわたしは、人見知りではあるけれど、できるだけたくさんの人と喋らせてあげたい。
それが今後の彼女のためでもあるし、彼女のキャラクターにもあっている。そんな感じだ。
ぶっ飛んだような発想に見えるかもしれないけれど、自分の人生を俯瞰して捉えられるようになると、ゲームみたいな感覚で楽しめるようになってくる。
なんだかよくわからないけど、この世に生まれてしまって、なんだかよくわからないけど文章が書けたわたしを、わたしはライターにしてあげたかった。
それが、彼女の人生としてとても一貫性があるように思えたし、彼女もそれを望んでいたからだ。
そして、ライターとしてやる以上、わたしは彼女に「人見知り」だと殻に閉じこもってほしくなかった。
わたしは、わたしをしあわせにしてあげたい。
文字にすると、ちょっと変だ。主観と客観が入り混じる、変な心地がする。
でも、例えば自分のことがあんまり好きじゃなくて、自信が持てない人ほど、「自分を演じてみること」を試してみてほしい。
客観的に映る自分は、今までの自分より魅力的かもしれないし、客観的になら、しあわせを願ってあげられるんじゃないだろうか。
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