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忙しなく動いても、素敵な時間は増えてはいかない
久しぶりに誰かの家に泊まった。きっかけはこのnote。
彼女は、人を家を泊めるとき、髪の毛を乾かしたり、耳かきをしてくれたり、アロマディフューザーのオイルを選ばせてくれたりするらしい。
ホテルでも旅館でもないのに、こんなにおもてなしをしてくれることがあるだろうか?
むしろこちらの身としては、「泊まらせてくれてありがとう」という気持ちでいっぱいである。
noteのとおり、彼女はわたしをたっぷりともてなしてくれた。
ふわふわでいいにおいのするパジャマとタオル。
かすかにラジオから聞こえる有線の音。
暖房に揺れる、小瓶に生けられた花。
自家製のパリパリのぬか漬け。
あったかくて甘いチャイティー。
心安らぐアロマディフューザー。
見ているだけで落ち着くキャンドルの灯り。
やさしく包み込んでくれるやわらかい手のひら。
なんだか涙が出そうになった。
これは、「ていねいな暮らし」だ。
自分のことをきちんと労われるからこそ、誰かのことも労われる。
どうしてそんなていねいな暮らしができるの、と聞いたら、前に占いに行ったときに、「部屋がどうしても片付けられない」ということを相談したら、「それはあなたの心が乱れているからですよ」と諭されたことがきっかけなのだそう。
たとえばお花は、わたしのなかで「オトナが好きなもの」だったけど、おなじような毎日のなかで、生活にハリを与えてくれるものなのだそう。
手をかけたぶんだけキレイに咲いて、散りゆく姿を見て時の流れを感じる。
ぬか漬けもそう。毎日漬けるものによって自然と味が変わっていく。
どちらも、自然に変わっていくもの。
ああそうか、と思った。毎日どうしても同じになってしまうからこそ、そういった変化を求めると、自然とていねいな暮らしになっていくのだ。
一方のわたしは毎日がめまぐるしい。部屋はもちろん汚くて、毎朝バタバタと服を散らかしながら、忙しなく家を出る。
あまり自分のことを大事にできていないから、今の自分は、誰かのことを大事にできる自信もない。
ゆったりと流れる心地よい時間に、ゆったりとお茶をすすりながら思った。
わたしは、この時間がほしい。
忙しなく動いたほうが、時間は増えるとおもっていたけど、もしかしたら違うのかもしれない。
物理的な時間は増えても、素敵な時間が増えていかない。
ゆったりと、自分の心の声に耳を傾ける時間。自分を労われる時間。
時間のじょうずな使い方ってなんだろう、と考えていたけれど、それは1分1秒を余すことなく使うことじゃないのかもしれない。
時間の流れを肌で感じること。
ちょっと自分の生活を改めよう、と思ったひとときでした。
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