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「天才」になるために、「凡人」になろう
現在、わたしは早起きコミュニティ・朝渋で毎週Voicyのパーソナリティーをやっている。
毎回ゲストを呼んで話をするのだが、先日、個人的に天才だと思っている人と話した。
世界大会優勝経験もある、ウクレレ奏者として活躍しているSHINさんだ。
https://voicy.jp/channel/771/38942
中学生のとき、授業を通じてウクレレに出会い、そのまま中学生にしてウクレレレッスンを開いてマネタイズ。
高校時代は一切遊ばず、すべてをウクレレに捧げ、ルイ・ヴィトンなどさまざまな企業と提携し、イベントなどでウクレレを弾く。
そして、大学在学時には世界最大のバンドコンテストで優勝。現在は、プロのウクレレ奏者として活動する傍ら、ウクレレを100人もの生徒に教えながら、さまざまな事業に携わっている。
端的に言って圧倒的成功者すぎる。
そんなすごい天才と向かい合ってエッグベネディクトを食べるという謎のイベントが発生したのである。
そのときに、彼が話していたことが印象的だったのでnoteにも記しておきたい。
「高校時代、毎朝5時に起きてウクレレを練習してから、学校に行き、夜は0時までウクレレを練習した。自分よりうまいウクレレ奏者はたくさんいるけど、自分より練習しているウクレレ奏者はいないと思う」
「なぜなら、僕は圧倒的に凡人だから」
圧倒的な凡人。
これをサラリと口に出せる人が、世の中にどのくらいいるだろう?
もちろん、言葉にする人はいると思う。でも、無意識に心の中で、思っているはずだ。
自分は、天才でありたい、と。
わたしも幼い頃はそうだった。昔から器用だったので、何でもできた。本を渡せば誰よりも早く読み終えて、夏休みの宿題で出す絵や作文などは大体入賞する。運動会では毎年リレーの選手に抜擢されるし、中1にしては珍しく英検3級を持っていた。
たくさん、たくさん褒められながら生きてきた。自分は何でもできる、天才なんじゃないかと本気で思っていた。
でも、あるときに気付いた。
わたしは、絶対に1番にはなれない。
とある声優オーディションを受けたとき、絶対にグランプリを獲れると思った。
でも、結果は準グランプリだった。
今にして思えば、準グランプリだって十分にすごい。でもわたしは、ダメだった。レッスンを通じて、グランプリに選ばれた人のカリスマ性を目の当たりにしてしまったのだ。
でも、それまで天才と思い込んでいたわたしは、どうしても凡人になれなかった。
現実を受けいれられず、逃げるようにレッスンを辞退した。
プライドが高すぎるあまり、悔しさをバネに、努力することができなかったのだ。
一方でSHINさんは、高校生にして企業に認められるほどのウクレレ奏者であったにも関わらず、ひたすらに努力をし続けた。
「自分は凡人である」
ということをしっかりと受け止めながら。
天才と凡人。そこには別に明確な線引きなどないのだと思う。
でも、天才と呼ばれている人ほど、圧倒的な努力をしている。寝る間も惜しんで勉強や練習をし続ける。
つまるところ、天才とはきっと、凡人が努力をした後の姿なのだ。
では、なぜこの世に天才が少ないのかと言えば、自分を天才だと思い込んでいる凡人が多すぎるからなのかもしれない。
だからまず、自分は凡人であるということを受け止めることから、サクセスストーリーは始まっていくのだと思う。
怖いかもしれない。自己肯定感がだだ下がりになるかもしれない。泣きたくなるかもしれない。
でも、やるしかない。
天才になるために、凡人になろう。
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