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「できる」ことと「教える」ことは全然ちがう
器用なので、ペンを取ったその瞬間からグラレコができた。
でも、どうしてできたのかはわからない。たぶん、今までの蓄積だと思う。
授業のノートはいつもグラレコのように絵や図を使って書くのがあたりまえだったし、逆にそうしないとノートが取れなかった。
そうやってグラレコをしていると、ありがたいことに、「どうやってやっているの?」「教えてほしい」と聞いてもらえる。
でも、その瞬間、フリーズしてしまう。
自分がどうしてそれができるのか、どうやってやっているのか、サッパリわからないのだ。
言い換えれば、「あなたはどうしてニンジンが食べられるの?」と聞かれているのに似ている。
なんで食べられるんだろう。小さい頃から食べさせられていたからかなぁ。食卓にあるのがあたりまえだったからかなぁ。
人にとって、「できる」ってそういうことだ。
なんの労力もなく、なんの勉強もなく、理由もなくポンとやってのけてしまう。
「できる」なら「教えられる」そう思うかもしれない。でも実際、ぜんぜん違う。
自分が無意識レベルでやっていることをなんとか分解し、言語化し、それでやっと教えられるようになる。
つまり、誰かに何かを教えられる人は、とっても尊い存在なのである。
でも、わたしも願わくば誰かに何かを与えられるようになりたい。
だから、「なんでできるのかわからないこと」を今、必死にわかろうと分解している途中だ。
ただ、忘れないでほしい。世の中に講師や先生はたくさんいるし、最近は一般人だって登壇してセミナーをやったりするけど、それって全然ふつうのことじゃない。
何かを教えられる人は、それだけですごいんだってこと。
だから、もっと誇っていいんだよ、ってお話でした。
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