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“なかよし”になろうとしない

稽古場の隅っこで首をもたげて体育座りをしていたら、隣にいた子がコツリ、と頭をぶつけるようにしてもたれてきてドキリとした。


女の子は距離が近い。ガチガチになったわたしに普通に触り、笑いかけてくれる。わたしもライトに触れられたら良いのだけれど、ぎこちなく笑うだけで精いっぱいだ。


「どうせもう、この人とは会わないって思えばいいよ」


と友人に言われて驚いたことがある。どうでもいいから、せめて今この場を気持ちよく過ごせるように仲良くなっておく、という感覚らしい。

「その場限りの関係」

そう思っておけば、何とかなるらしい。長く付き合うわけでもないから、相手に何も期待しない。求めない。「本当の自分を知ってほしい」なんて思わない。

それでいくと、先日前職の人たちと鍋を囲んだとき、5人もいたのに自分がひどく自然に笑えていてびっくりした。

仕事仲間とは、「仲良くなろう」と頑張ったことはそんなにない気がする。とりあえず仲間として一緒に協力して事業を進め、苦しい時期を乗り越え、気づいたらこうなっていた。

その理論でいくと、「仲良くなろう」と肩肘を張るほうが失敗するのかもしれない。そんな気がした。

「なかよし」であることが大切だと心のどこかで信じていた。みんなで手を繋いで輪になっているあのイメージ。


でも、実際にはあんなにも綺麗な輪っかは描けない。トゲトゲした手もあるし、引っ込んで届かない手もあるし、ベタついて離したくなる手もある。

はじめから無理やり手を繋ぐのではなく、手を繋ぐフリをしていて気付いたら触れていた。そのくらいがちょうどよいのかもしれない。


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