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賛同と理解と他人。

1月14日の、20年前の日記ですが
好きだったロックバンドへの想いをひたすらに綴っており
何の教訓も見出せなかったので
申し訳ないですが、割愛させていただきました。どうもすみません。

今日は出社が遅めなので、午前中は自宅でメール作業。
何気なく買ったベーコンと卵をフライパンで焼いてみたら
想像以上に美味しかった、という、なんでもない朝です。

それでは、2000年1月15日へ。

「この世界が朽ち果てるまで」そう歌った柔らかな声。
受話器越しに聞こえる、君の声と
どちらが私を泣かせているのか分からない。
ただひたすら、夢を手に入れたいと願っただけ。
「もうメディアに踊らされたくない」そう言って死んでいったなら
もっと生きやすい世の中を築きたい
生きていたなら、あなたに会えるでしょう?

当時の、とても狭い空間だけでの生活が、息苦しかったんでしょう。
インターネットの普及率がまだまだだった二十歳の頃、
情報はテレビや雑誌。
そこで人気のあるアーティストを好きである事が一般人の証で、
それ以外だと変わった人扱いされていたし、話すら聞いてもらえなかった。

今でこそ、好きなアーティストを好きと言えば、
同じ趣味の人とSNSで簡単に出会えるんだから、正直羨ましいよね。

趣味の合う人と出会った時に、今まで話も聞いてもらえなかった私としては
自分の事を理解してくれる人と出会った気分になりました。
もちろん、いきなり理解者になってくれる訳ではないけれど、

「誰もわかってくれない」と思って生活するより、
「わかってくれる人が居る」と思える事が、救われると言いますか。
俯くだけじゃなく、周りを見渡す勇気を貰えたのかも知れません。

さらに言えば、社会に出たら色んなタイプの人と出会うので、
居心地のいい場所に居るだけでは、防御力が低くて困るんだけど

何でもない話くらいは、誰とでもできるようになりたいものです。
はい、目玉焼きには醤油派です。

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