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人はなぜ責任を取りたくないのか

嫌なことに向き合うのが苦しい。私も今,まさに苦しんでいる最中だ

どうしようもないこともある。納得いかない。もやもやする

人はなぜ、責任を取りたがらないのだろう。責任を恐れているようにも見える。「責任を取る」という言葉の向こうに苦しんでいる自分が見えるような気がする。でも「責任を取る」とは本当にそんな苦しみを伴うことなのだろうか


責任の本質は何か

  

責任の意味を改めて調べてみた

責任
① 自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。
② 自分が関わった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。

スーパー大辞林より

つまり責任とは何かを一言で説明すると、責任=行動になるのではないかと思う

責任=アクションを起こすこと だ

責任をとるのはめんどくさいし、自尊心が下がってしまう可能性が高い

仕事でミスしたときはもちろん責任を問われる。自分だけの責任ではない失敗も後輩や周りのスタッフを守るため、責任を背負わないといけないときだってあるかもしれない

頭を下げるのは辛い
自分が間違っていたと認めたくない
みっともないという目で周りが見てくるかもしれない
自分は実は大して価値のない人間なんだということを突きつけられてしまう
自分はダメなんだという気持ちをたくさん味わわないといけない

責任を取るのはエネルギーがたくさんいる

社内や家族などのコミュニティ内で不和が生じたとき、誰かを説得しないといけない場面に出くわすかもしれない。説得するのは大変だ。決断には責任が伴う。自分が物事を決めてしまえば、それを好ましく思わない誰かに恨まれてしまうかもしれない。だから決めたくない。できれば誰か、責任を引き受けてくれそうな人のせいにしておきたい。大抵は組織の中の、弱い立場の人がその責任を負うことになってしまう

そんなことを考えていると、ますます責任を取ることに対して消極的になる

仕事は上司に言われたことをこなすだけ。自分の意見は言わない。意見するというアクションを起こせば、その行動に責任が生じてしまうからだ

どんどん責任を取ることに消極的になって、しまいには自分の人生の責任まで誰かに委ねてしまうことになる。自分が不幸なのは親や配偶者や、そのほか自分の人生に関わった誰かが、自分が幸せになるような決定を下してくれなかったからということになる

責任=行動=挑戦=失敗に向き合うこと

  

では責任の本質は何なのだろう。少なくとも,自分の人生の責任は取れるようになりたい。そうでなければ,仕事や家族に対して責任を負うなどとても出来ることではないと思うからだ

そもそもなぜ,責任を取るとはこんなにもネガティブなイメージなのだろうか。どうしたら責任を取れる人になるのだろう

責任=行動すること

行動することは,何かに挑戦することだ。つまりトライアンドエラーを繰り返せば,責任を取れる人になれる

仕事でミスしたら次はミスしないよう対策を考える。人を説得できなければ,説得できる方法を考え再度説得に臨む。仕事の泥臭い部分に関わって,働く人の不満を汲み取る

責任を取るとは,Win-Winの関係になるよう常に努力し続けることではないかと思う

しかし挑戦すれば必ず失敗もする。失敗はつきものだ。この失敗が,責任という言葉をネガティブなものにさせてしまっている

失敗すればダメな自分を突きつけられるし,間違いを認めないといけない。これが苦しい。逆に言えば,失敗に対する感情の処理の仕方さえ学べれば,責任を取れる人になるのではないかと思う

自分はダメなんだと感じなければ,どんどん責任を取れるようになる

責任を取ることは苦しみを伴い,責任を果たすのは遠い道のりに感じる。でも実際は単なる経験不足で,ただ学んでいないだけなのかもしれない

そう思うと責任に対するイメージが少し軽くなった

しばらくこの結論を持って,自分の責任と向き合ってみたいと思う

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