目的なく海外に行くことに意味はあるのか~ワーキングホリデーから四年、当時を振り返る~
ワーキングホリデービザ。年齢などのある一定の基準を満たしていれば誰でも取得でき、ビザ取得先の海外で1年間滞在することができる。
その間にスクールに通うこともできるし、就労することもできるし、ニートしていてもいいし、大変自由度の高いビザです。ですので、海外に憧れのある人はこのビザを使い海外で過ごしてみたいと思うのではないでしょうか。
ただし、取得が容易なビザとはいえ「よし、ワーホリに行くか」と決断するまでに様々なハードルがあると思います。
英語もろくにできないのにやっていけるのか。現地で働けるとはいえ、ある程度まとまった資金が必要なのではないか。社会人であればキャリアが途切れてしまうので、日本に帰ってきてまた転職活動するのはつらい。普通の留学と違いすべての行動、目的を自分で設定しなければならない。
特にワーホリに興味はあるけど行動に移せない方の中では、はっきりとした目的はないがなんとなく海外に行ってみたい。行けば何か夢中になれるものが見つかる気がする。行けば自分の人生が変わる気がする。
今は目的がはっきりしないけど、行けば何とかなる気がする。でも決められないし…不安もある。という方が結構いるのではないでしょうか。
上のふわっとした感じ、ワーホリに行くかと決めた当時の私がまさに抱いていた感情でした。
そして滞在先としてニュージーランドを選び、1年間滞在。帰国してから4年、日本での社会人生活の中で貯金したお金を大きく切り崩して海外に飛んだ私が、あの1年間で得たものがあるのか。はっきりした目的なく滞在し、英会話力ほぼゼロと言ってよかった私がニュージーランドに行ってよかったと言えるのかを考えました。
ビジョンなく、なんとなく海外へ
2018年9月、7年務めた医療機関を退職し私はニュージーランドへ旅立ちました。ニュージーランドを選んだ理由は9月に出発月を設定したから。カナダが第一希望でしたが、北半球は秋から冬にかかる時期。初めて海外で長期滞在をするのに寒さの厳しい季節からワーホリを始めると気がくじけそうな気がして、これから春夏シーズンに入る南半球へ行くことにしました。
オーストラリアではなくニュージーランドにした理由は、オーストラリアは旅行で二度ほど行ったことがあることと、ニュージーランドの方が羊もたくさんいて景色も綺麗そうだという、とても感覚的でふわっとした理由でした。
退職しワーホリへ行こうと決めたのは出発月の9月より3ヶ月前の6月。それまで横浜市にある中規模な医療機関で医療秘書、医療事務を行っていましたが、毎日がマンネリ化して仕事に飽きを感じていました。後輩の指導、患者対応、レセプト。責任ある仕事もぼちぼち回ってきていて楽しくはあったのですが、変化や彩りを感じることができずにいました。
当時29歳。ワーキングホリデービザを取得できるのは30歳までなので、リミットが迫っていました。
6月に突然海外に行くことをひらめき、7月末に退職して9月にはニュージーランドへ飛んだ私ですが、それまでは海外に長期滞在してみようなんて考えてもいませんでした。海外旅行は好きでしたが、あくまで旅行でした。
きっかけは29歳になったこと。20代最後の年に何をしようかと考えました。アラサーあるあるですが、自分の人生の方向性に悩んでいました。
仕事は割と得意な方でしたが、どうしようもないほどの恋愛下手でした。私を好きになってくれる人のことはなぜか好きになれず、告白されそうものなら全力拒否、全力逃げを実行しました。
それでいて、自分が好きになった人には好きになってもらえず、追いかけては実らずを繰り返しました。なので20代は、クリスマスにカップルでイルミネーションを楽しむような、甘い恋愛とは無縁で過ごしました。
自分でもなぜこれほど上手くいかないのか不思議でした。
一方で母親が熱心な宗教家であり、幼いころより母の宗教の教えを受けて育ちました。しかし父は母の宗教には反対しており、母の前では宗教の教えを守る、父の前では宗教の教えに反し父の教えを守るという、二つの信念の間を行ったり来たりする環境で育ちました。今思えば、よくそんな器用なことをしていたなと感じます。
就職してからは一人暮らししており、宗教には関わっていませんでした。しかし幼いころの教えは自分の中に確かにあります。その教えに反し、自分の好き勝手に生きたい、でも教えを破るのは怖いし、破った罪悪感に苦しむ上母のがっかりした顔を見るのも嫌だ。
当時誰にも相談できなかった、密かな悩みでした。
そこで思いついたことが、海外に住んでみるという選択でした。海外、特に欧米の文化であれば宗教なんて当たり前で、むしろ無宗教の人の方が少ない。様々な価値観、様々な文化がまじりあっている。そういう人たちを見れば今の悩みを解決するヒントが得られるのではないか。
新しく刺激的な場所に行けば、自分の先が見えない人生に確かな軸になるものが見つかるのではないか。
滞在先でも日本人がいるだろうし、向こうの日本人とは話も会うしすごく仲良くなれるのではないか。なんの根拠もないですが、そんな幻想を抱いたりしました。
とにかく行けば人生が開けるかもしれない。ただそれだけでした。
よく留学エージェントのサイトに書いてあるような、「ワーホリを成功させるためには現地で何をしたいか・自分が学びたいことは何か具体的にしておくことが大切」「英語力の向上が目的なら現地へ行く前から計画的に行動しておくことが必須」というような文言は一切頭の中にありませんでした。とはいえ当時の密かな悩みをワーホリのエージェントに打ち明けるのは気が引けたので、薄っぺらく英語力を向上させたいというような理由は表向きには作っていました。
今思えば、当時の自分は自分の感情や家族に向き合うのを恐れ、海外に目を向けたように感じます。本当に海外に行きたかったのではなく、母親の無言の期待から逃げたくて海外に行ったようなものでした。
ともあれ、理由はともかく決めてから三か月、スーツケース一つでオークランド国際空港へ降り立ったのです。
語学学校・旅行・現地での仕事
現地に到着して初っ端にパスポートをオークランド国際空港のどこかに落としました。しかも落としたことに気が付いたのはホームステイ先のホストファミリーの家についてからでした。急いで携帯で調べた英単語をもとに、ホストファミリーへ伝え探しに行きました。幸い、空港の管理室で保管されていました。
ホストファミリー家はシングルマザーのニュージーランド人の家庭で、私のような留学生を自宅の部屋に住まわせ、それで生計を立てているようでした。お金には大変厳しく、車を出すときはガソリン代を請求され、滞在日数に合わせてWi-Fi使用料も請求されました。光熱費節約のためシャワーの時間などもきっちり決められていました。
二十歳の娘は夜遅くに帰ってくるため、あまり顔を合わせることもありませんでした。アットホームで幸せな家庭と違い、寂しさと厳しさがホームの中に漂っていました。
その一方で、ホストマザーはニュージーランドという国が大好きなようでした。ソファーや壁にはニュージーランドの伝統民族、マオリ族を思わせる刺繡が入ったパッチワークがカラフルにかけられており、マオリの文化を度々熱く語りました。
ホストマザーの家は一か月のみ滞在、その後は韓国人や日本人、ニュージーランド人とシェアハウスで暮らしました。携帯を契約し、銀行口座を開き、色々とやりくりして物価の高いオークランドで月10万以下で生活しました。
ニュージーランドについてから最初の二か月のみ語学学校に通いました。語学学校はアジア人、南米出身の人が多かったですが、中にはヨーロッパから来た人もいました。
英語力向上のためにはならないとわかりつつ、語学学校ではどうしても日本人や韓国人、台湾人と仲良くなることが多く、日本では顔をしかめるような汚い屋台で一緒にランチしたり(味は最高)、おしゃれなカフェでフラットホワイト(ニュージーランドで人気のエスプレッソ)を楽しんだりしました。
語学学校で印象的だったのは、北朝鮮人もいたことです。もっとも、本人は北朝鮮出身とは話さなかったので、本当かどうかは分からずじまいでしたが。
仲良くなった韓国人がふと私に語りました。
「私はサウスコリア出身だけど、彼はノースコリア出身だからやっぱり顔つきがサウスコリアの人とは違うわよね」
「ふーんそうなんだ。…え?ノースコリア?」 ノースって北ってこと?
「ノースコリアの人も私たちみたいにビザを取って、語学学校に来れるの?」私は韓国人の友人に尋ねました。
「これるわよ」友人は答えました。「ノースコリアの人も上流階級の人は留学もするし、英語も日本語も勉強するのよ」
上流階級の人が本格的な大学留学ではなく、ワーホリのついでに利用するような語学学校に来るのかは疑問でしたが、友人は確かにそう語っていました。
語学学校を終了したのち、日本円にして15万円ほどでニュージーランド一周のツアーに申し込み、おんぼろで乗り心地は最悪のマイクロバスでニュージーランドを旅しました。安宿をツアーで一緒になった人たちと利用し、二段ベットの下を取り合うような旅でしたが、非常にアクティブで印象的で楽しい旅でした。空気が澄み、景色の輪郭がはっきりしているニュージーランドの風景は、写真を見返さなくても今でもはっきり思い出すことができます。
オークランドへ戻ったのち、日本食レストランで働きながらオークランド中のカフェをあちこち巡りました。
アルバイトは週3日~4日ほどだったので時間はたっぷりありました。日本から持ち込んだMacbookを片手に、自分でウェブサイトを作ってみたり、小説を書いてみたり。一人でできる作業ばかりが好きなので、英会話力はほぼ上達せず、オークランド滞在中にオンライン英会話でフィリピン人と会話して英語力強化をはかるというちぐはぐなことをしていました。
これが予想外だったことの一つでした。読者の皆様は海外にいるのだからオンライン英会話など必要ないと思われるでしょうが、自分が必要な生活ゾーンの中で使う英語のフレーズは予想以上に少ないのです。日本食レストランで働いていてもです。
よほど英語でのコミュニケーションが頻繁な仕事につかなければ、海外にただいるだけでは英語は上達しないのだと痛感しました。自分の生活に、目的に合わせて意識的に英語を織り込まなければ、自分のモノとして自然に思い描いたフレーズを語るのは難しい。これを胸に刻み、今でも携帯の言語設定は英語にしています。
毎日が刺激的で、楽しくはありました。マックやスタバは基本的に日本と変わりませんが、店員さんが非常にかっこよく見えました。肌の色様々、ヨーロッパ系、アジア系、インド系、ラテン系の人が混じりあい仕事をしています。若い男性店員は金髪を後ろで一つ結びし、筋肉隆々の腕にはマオリっぽいタトゥー、その腕でハンバーガーのパティを鮮やかな手つきで返す姿は中々でした。
しかし、英語は上手じゃないので誰かひとりの外国人と深く付き合うということはなく、日本から連れてきた寂しさはそのままでした。いや、英語は関係ないのかもしれません。現地で出会った日本人とも仲良くなりましたが、広く浅くの付き合いで深く関わりあうということはありませんでした。
人との関わり方は、あくまで日本で身につけた私の習慣と同じでした。知り合った日本人の友人は私と同じくらいの英語力でしたが、現地人と仲良くなり結婚までしました。
「人との関わり方」という私の本質的な問題点は海外に来たからといって解決はされませんでした。
目的がなければワーホリは意味のないものになるのか
上記のワーホリ体験談を読んでいただき、10人いれば10人分の感想があるかと思います。
こと英語に関しては、とてもビジネスで使えるようなレベルにはならず、その視点から見れば私のワーホリは何の成果ももたらさなかったことになるかと思います。
ではやはり、目的なく海外で生活してみるのは意味のない行為で、やめておいた方がよいのでしょうか
答えはNOです。ここだけは断言します
なぜならば、なんとなく行った海外生活体験で多くの副産物を得たからです
最大の副産物はたくさん困ること
フライト前夜、1人で知り合いが一人もいないニュージーランドへ行くのは不安がいっぱいでした。
初日からパスポートを紛失し心臓が止まるような思いをしました。
環境がガラッと変わり、渡航してから二か月生理が来ませんでした。生理がちゃんと来たときは本当にほっとしました。
ホームステイ中、ルームメイトにホストマザーがいないときに男を連れ込んで勝手に騒ぎ立てるのはやめてほしいと伝えられず、悔しい思いをしました。
語学学校では周りの人たちが私より英語の上達が早く(余裕がないのでそう感じた)落ち込みました。
携帯の契約、銀行口座開設時は店員、行員の英語が聞き取れず、大恥をかきました。
最初の一か月は勝手がわからず、買い物に日本の三倍の時間がかかりました。
洋服や下着は私に合うサイズがなく、どこに売っているのかもわからず途方にくれました。
レストランで働いていたときは、ビーガンの方に「当店の揚げ物は肉と野菜を一緒の油で揚げるので、野菜のみのメニューでも衣に肉汁がついてしまっている可能性がある」と説明できず、身振り手振りでも伝わらず、大変苦労しました。※ニュージーランドではビーガンメニューがどこのレストランでも普通にある
帰国の途中で寄ったインドネシアのバリ島で、日本人観光客女性を狙ったヤリモクに追いかけられて必死で逃げました。
他にもたくさん、大変だったことを乗り越えました。たくさんの人に助けてもらって。
座っていれば困らない。行動しなければ困ることはない、現状維持。
でも色々と困ったからこそ、思うことがあります。それは困った経験を自分がしなければ、困っている人を助けることができないということ。
自分が助けてもらった経験がないと、人を助けることもできないということ。
目の前で何か酷いことが起きた時、共感できるのは困った経験をたくさんした人です。
困った経験、辛い経験が少ない人は、目の前の問題を見て「大変だね」と思ったとしても、共感しません。
ドラマを見ているように、自分には関係のないこととして眺めているだけ。
しかし、少なくとも海外の地で困っている最中の私は眺めているだけの視聴者ではなく、画面の向こうのキャストでした。
短期的にみれば、あの海外生活で人生が変わったと言えるような出来事があったわけではない。しかしあの時の体験が、今の私の価値観の下地になったと間違いなく言えると思います。
宗教や価値観、考え方が違ってもお互いを尊重すれば共存することができるということ。
ある程度整った住環境があれば、工夫次第でいくらでも豊かになれること。
高級な住環境に身を置いたとしても、幸せな感情が自動的に湧き上がってくるわけではないこと(バリ島でプール付きウェルカムフルーツ付きの少しいいホテルに泊まってみた)。
などなど。
困ることは後の財産なのです。
「興味はあるし行ってみたいし海外生活憧れてるけど、英語自信ないし俺(もしくは私)なんかが行っても大して英語上手くならないだろうし、でも興味はあるし、でも1年後就活するのもだるいし、うーん…」という人に向けてこの記事を書きました。
結論は一言。
迷うなら行け!
ということで、最後まで読んでいただきありがとうございました!
下記は私が大変お世話になった本たち。参考になさってください