人が死んで初めて理解する
昨日28回目の誕生日を迎えました。
私が少し若い時、27から28って、19から20になる感覚や、24から25になる感覚と少し似ていると思っていました。
ああ、とうとうラストティーン終わる
ああ、とうとうアラサーになる
そんな感覚と近いのではないかとちょっと前までは思ってたんですね。
でも実際に28になってみた時に、大人になった、衰えた、年取った、という感覚は不思議とそこまでありませんでした。
どちらにせよ外出自粛で体力はだいぶ落ちているので、身体的に衰え続けていることには変わりないんですけどね。
精神面では、この半年でだいぶ変わった気がします。
在宅勤務が始まって、一人で考える時間が増えて、いろんなことに対して思いを巡らせるようになりました。(仕事に追われてた時にはできなかった)
今日横田めぐみさんの父滋さんが亡くなられたニュース。
昔からずっと「横田めぐみさん」という名前だけが脳裏に残っていて、ニュースで取り上げられるたびに
「横田めぐみさんはこの世界のどこかで生きていて、偶然にも両親が自分を必死に探していることを耳にして、帰ってくるんじゃないか」
と心の中で期待している自分がいました。
そんな漫画みたいな、映画みたいな奇跡が起きたらいいと思いながら、毎回ニュースを見ていた私にとって、今日の訃報はなかなか重くのしかかるものでした。
亡くなったことに関していろいろ取り上げるニュースを見ているうちに、ふと
横田滋さんが亡くなったというニュースが今日流れなかったら、この拉致問題は次いつ取り上げられるのだろう?
プロレスラーの木村花さんが亡くなったときも
もし木村花さんがまだ生きていたら、誹謗中傷って今ほど重視されてなかったのだろうか?
誰かが死ぬことで、人は初めて気づき、問題を理解する
木村花さんが亡くなった後、誹謗中傷は初めて「本気で」問題視された気がしますし、
横田滋さんが亡くなった後、拉致問題も「よりいっそう本気で」問題視されていくのかなと思ったりしています。
人が死ぬと、初めてその問題を本気で重視するようになる
そんな世の中でいいのか、このやろーって。
そんなところまで思いを巡らせる28歳になりました。