受験期に死にたくなくて、遊んでいた話
私には病気がある。病気を理由にして何もしていないわけではないが、病気が理由でできないことも多くある。諦めたことだって、頑張りたくても頑張れなかったことだってたくさんある。それを、全員が、この世の私に関わってくれてる人全員が知ってるわけじゃない。わかってる。頑張ったら治る病気じゃないし、薬を使っても一生治らない病気で、再発の危険と毎日隣り合わせだってことを、全員が全員知らないことくらいわかっていた。欲を言えば私は私が諦めたことに対しては周囲の人も一緒に諦めて欲しかった。「あなたにはできないね、仕方ないね。でもあなたのせいじゃないよ。病気のせいだね。治療頑張ろうね。」それくらいでよかった。でも周囲の人はそこまで考えるわけじゃない。むしろそれが当たり前だ。大学受験をして結局今は浪人しているのだが、受験期1番これに苦しめられた。
「受験生なのに」
この接頭語、腹立つ。そんなこと自分が1番わかってる。毎日勉強ができない。授業が受けられない。集団行動が苦手。コンスタントに課題がこなせない。自己嫌悪に人の倍陥りやすくなる。発作だってある。辛くなったら自殺に走るかもしれないから、必死で辛くならないように抑えているのに。自分の機嫌を取って、好きなものを見て、SNSをして、カラオケに行って、ゲームをして、それでも勉強をしていた。足りないことくらい、自分が1番わかっていた。でも、壊れないようにするためには、満たしてしまうとダメだった。
私が受験期に遊んでいたのは、人よりもたくさん出かけていたのは、勉強をしていなかったのは、
死なないため、なのに。
体調が悪くなったらいつ死ぬかも自分でもわからない状況で、苦手な集団授業を受けて勉強し続けて、なんてしていたらダメになることがわかりきっていた。だから、私は「足りない前提」の勉強をしていたのだ。
わかる。そんなこと全員が把握してるわけじゃないから、こんなこといまさら言うなよって意見。わかるよ。
死にたくなかったから、遊んでいた。
勉強を嫌いになりたくなくて、遊んでいた。
「勉強しなくて大丈夫なの?」
大丈夫だから遊んでるのにそんなこと言わないでほしかった。
「遊んでばっかりだな。」
必死に生きてるのに、死にたくなくてもがいてるのにそんなこと言わないでほしかった。
「受験生なのにね。」
全員が全員几帳面に受験勉強できる人間だと思わないでほしかった。
私は授業が受けられない。模試が受けられない。試験が受けられない。でも大学に行きたかった。だから、あと一年で足りるように調整していただけ。死んで大学行けなかったら元も子もない。
死にたくなかったから、わざと勉強を不十分にしていたんだよ。
今更これ言っても言い訳かな。そう見なされるとしたら世の中って情がない。