アイドル・インディビデュアリティ

 アイドルに個性を求めるか、否か。「アイドル」と言えば基本的にグループが連想されるようになった現代。世間はアイドルにどこまで「個」を許容し、どこまで彼ら彼女らに色を許すのだろうか。

 「お笑い担当だからバラエティに呼ばれる」「ビジュアル担当だからファッション誌に掲載される」多くのアイドルグループで耳にする、「担当」という言葉。ファンの間やメンバーの言動から定着していくものもあれば、運営が最初から振り分け、自己紹介などでメンバー自身が口にすることもある。一見、グループという集団行動の中にある「多様さ」が許された部分。しかし、それに取り憑かれ、逆に画一的な行動しかしなくなる、あるいはできなくなるアイドルも見受けられる。一方で「普段はお笑い担当の涙」とか、「ビジュアル担当のドッキリ」とか、ギャップで売っていくこともできる。要はアイドルの人間の部分を売り出していくために、「担当」はアイドルの偶像的、絶対的なキャラクターを固定する便利な言葉なのだ。神社の「縁結びの神」とか、ギリシャ神話の「学問の神」とかと同じようなことだ。
 アイドルはグループという集団に所属し、「担当」という暗黙の絶対的キャラクターを享受することで、それに沿った行動をすれば崇拝され、外れた行動をすれば人間味に共感される、まさに偶像と人間の間の存在なのである。

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