落とせない手垢、終わる生活

 今週で高校生活が終わる。描いていた青春とはあまりにも程遠くて、まるで終わる実感がない。でも、私はそんな甘酸っぱい生活からはかけ離れた生活を、苦しみながらも3年間過ごしたという。これだけは、自分を褒めてあげなければいけない。

 中高一貫校、昔ながらのセーラー服がトレードマークの共学だった。流行り病のせいで1年生は夏まで登校できなかった。中学で不登校気味になっていた私には都合が良く、オンラインの授業や、細々と始めたInstagramで話す人ができて、なんだかうまくやっていける気がした。
 夏、色んなことをして、秋、色んなことがあった。今でも思い出したくないことがたくさんあって、文字に起こすにはあまりに愚かなことばかりだけれど、私は一生この日々を忘れない。11月、私はセーラー服を脱いで、ビルの6階にある通信制高校に転がり込んだ。正直、ここまでめちゃくちゃ長くて、傷だらけになって、今でもその傷が染みることがある。私に触れてくれていた人が離れていって、人の手形だらけになった私は、もう何がしたいんだっけ、と空を見つめることが多くなった。手を差し伸べてくれた人の手を必死に掴み、離したくなくて泣き叫び、振り払われて絶望し、周りはどんどん曇っていった。自分を癒してくれるものにお金を使い、時間を使い、それを幸せだと履き違えて、自我はどんどんなくなっていった。それは2年生の後半まで続いた。

 3年生になり、受験勉強を始めた。受かるとも思ってなかったし、実際、受からなかった。苦しくてたくさんの人に当たった。迷惑をかけた。人に愛されることに飢えて、人を愛することを躊躇い、気づけば気味の悪い恋愛ばかりして、勝手にフラれていた。手形はどんどん増えていき、傷跡はどんどん深くなり、色濃くあざとなって残った。

 ここでは正直に言いたい。高校生は楽しくなかった。友達と自信を持って呼べる人もいなかった。人を心から信頼することができなかった。恋愛リアリティーショーで描かれるいかにもな青春に殺意を抱き、SNSでの上部だけの関係に心を病み、何度も死のうとした。高校生活で結局自分のことを深く理解してくれる人には出会えなかったし、手垢だらけの愛に飢えた獣と化した私は、毎日の5ミリくらいの幸せに支えられながら、生きて生きて、3年間も生きたのだ。もう死にたい、そう思っても生き続ける術を知ってしまったから、生きている。きっと何十年も後にこの文章を読んで、自分は若かったと笑える日がきっと来るから。それまでは、青さが成熟するまでは、対人関係で涙を流し、色恋沙汰で深く傷つき、生きる意味を探すことになるだろう。そういう意味では、高校生活3年間なんて序章に過ぎないのかもしれない。

 3年間関わってくれた人全員に、ありったけの歪んだ愛情を手渡したい。歪んでてボコボコなのが今の私の愛であると、わかってくれる人は果たしているだろうか。

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