オタクにSNSは難しい
楽しい時も、悲しい時も、いつもそのフィールドはSNSにあった。
2004年、平成16年生まれである私は、当然生まれた時から携帯電話があり、小学校に上がる前にはスマートフォンが普及して、高学年になる時には多くの人間がSNSを使っている世の中だった。無論、私も高校生になるとSNSを多用し、たくさんの失敗をしてきた。
今でこそこうやって、若者のSNSの使い方や、自分のSNSとの関わり方を俯瞰で見る文章を書こうと意気込めるが、当初はSNSの怖い部分も知らずに使っていた。
話は逸れるが、私は10年近くバトントワリングを習っている。バトンは慣れるまでにたくさん怪我をしなければいけないのだが、怪我をした分だけ技の成功率は上がっていき、怪我もやがて治癒し、綺麗なバトントワラーとなっていく。
しかし、SNSというコンテンツは訳が違うのだ。慣れるまでにたくさん失敗をして、正しいネットリテラシーを手に入れたとしても、過去にした失敗が「完全に消えない」のが、SNSの怖いところなのである。
しかも、その失敗は誰が、いつ、どこで、どんな風に見ているかわからない。可愛いと思ってあげた自分の写真を、おともだちだけが見ているとは限らないということを、もっと、特に小中学生には強く教育しなければならない。
Twitterには、まだ体つきが幼い女児が自分の写真を自らの手でアップし、そこに下劣な男達がリプライを送っていたり、TikTokを開けば露出の多い格好でセクシーなダンスを踊る女子高生の動画が何千と共有されていたり、和室の一角を使って踊っている女児が、「和室界隈」などと括られてからかいの対象とされていたりするような光景がまだまだ溢れている。何も考えず送っているであろうその女児から男達へのリプライを見て、日本のメディア、SNSリテラシーの教育の甘さを強く感じると共に、そこまで手が届かなくなるくらい、SNSという空間は広くなり過ぎているということが痛いほどわかる。
これは、確実に失敗で、いつか失敗したなと思って反省する日が来るだろう。しかしながらこのSNS空間に投げられたメディア、文章は消えないのだ。誰かのスクリーンショット、誰かの画面録画。その本人に何かあったら、「本人のことを写した資料」としてテレビのニュースに視聴者提供だってできてしまうのだ。
世界はSNSによって発展したが、SNSに侵食されてしまった部分も多くある。その中でも私が取り上げたいのが「SNSとオタク」というコンテンツである。
私も生粋のオタクである。ジャニーズ、地下アイドル、芸人など、たくさんのジャンルのオタクをしてきたし、実際に今もジャニーズを追いかけている。
オタク仲間と話していて思うのは、「オタクは繊細な生き物で、SNSに向いていない」ということだ。オタクは自分の推し方に自信と誇りを持っているし、推しに対して無償の愛を捧げている人がほとんどだろう。しかし、この大部分が、SNSの普及によって崩れたと私は考えているのだ。
「周りが見える」SNSは、周りと自分を比べて自分を卑下したり、嫌な情報を見て不快な思いになったりと、精神的に不安定になりがちである。また、10年ほど前から言われている「インスタ映え」を、オタク達は強く意識する傾向がある。周りが見えるということは、周りからも見られている、という意識が、オタクはInstagram、特に写真に関してよく働いていると思う。これは屈折した「視線」の意識だと考えている。この「視線」の意識が、もう少し文章やストーリー(24時間で消える投稿)にも反映されるといいのだが。
もう一つ、「反応がもらえる」SNSは、オタク達の承認欲求を満たし、オタク達の抗争を招く。推しからのリプライ、いいね。憧れているオタク(かつてはオタクにカーストなどなかったと思うのだが、SNSの普及により「〇〇さんは××のオタクの中で憧れ!」といった言い方が増えた。)からのフォローなど。オタク達はいいねやフォロー、リプライなどの機能で、承認欲求を満たしているのだ。また、直接会話ができることで、友達が増えたり、反対に顔が見えないままやりとりを重ねたり、チケットの取引などができることで、争いや関係のねじれ、オタク内での派閥、酷い時には訴訟なんかも起きたりする。
オタク、SNSやらない方がいいんじゃない?と全オタクに投げかけたいのだが、それが難しいのが現代社会。前述した通りデジタルネイティブの私たちは、SNSでの失敗を繰り返し、生活の中で当たり前のものにしていく。また、デジタルネイティブとは言えない年齢層の人々もSNSを使わないと生きていけない世の中になっている。無論、SNSを使わずにオタクをしていた人が、SNSを推しきっかけで始めて、失敗を繰り返すのは想像に容易く、結果オタクのSNSは失敗で溢れてしまうだろう。そして繰り返しになるが、その失敗は消えないのだ。一生、地球が無くなるまで。
だから、私は将来的にこの危険を少しでも減らすため、オタクのSNSの個人運用に警鐘を鳴らすだけでなく、個々人のSNSによる失敗、被害に目を向けて、メンタルヘルスの面からもアプローチをし、さらには教育や法に関する勉強もして、幼い頃にSNSの失敗を最小限に抑えるにはどうしたら良いかについて考えていきたいと思う。
オタクは繊細で可愛い生き物である。傷ついてあざだらけで生活する羽目になる前に、まずはSNSとの向き合い方を再定義する必要があるのだ。