本能からの自己肯定感
「自己肯定感」の強い人、弱い人と
日々どちらも周りにいるなと思いながら、
自分はどっちかというと、弱い方。
日々暮らしている中で、自分の事を高く見ている人はもしかしたら嫌われがちかもしれないですが、
これは本能に従っているだけで、寧ろ
みんなやった方がいい!!
事らしいのです。
自己肯定感が低い人は、謙遜してるとか、目立たないようにしていたり。
きっと日本人に多いのはこっちだと思われがちでしょう。
子供の頃は、何かが出来ると
「こんなに出来た!凄い!!」
「偉い!!」
と、周りも言ってくれて自分も嬉しくなり、更に上を目指そうとしていました。
大人になって自己肯定感が落ちるのは多分自然な事かもしれませんが、環境に溶け込むように自分を守る為でもあり、出る感情を抑えたりする癖がつきます。
それは本能的にも良くないようで、
「あの人の方がもっと出来てる」
「自分は全然ダメだ」
というように、頑張ったのに自分で自分を下げる思考になると、それは根付いてしまい、自分を守ろうと常にそっちに考えが行くのだと言います。
その考えが先回りしてしまい、
努力をしても結果は良くないのだというマイナスな考えに自然となってしまって、それならと初めから努力をしない楽な方にいってしまうんだとか。
当てはまっている…笑
何なら全ての事柄にこのパターンは使える位分かりやすい話だ。
仕事で上を目指すなら、出来た数を数えてゲームのようにクリアしていく。
面ごとに
達成感・クリアした感
は感じられるので、それをどんどん味わう為に
人は頑張るのでしょう。
例えば子育てしている親の立場からしたら、それはもうその達成感を子供に与えてあげる方になっている。
それをした事で自分自身も達成感を感じて幸せになれるなら素晴らしい事だと思う。
ただ、子供のいない自分としては、
「え?自分は?」
とか考えるのは、浅い思考なのだろうか?
子供が3人いて毎日忙しい1つ年下の女性は、そんな毎日の中、訳もわからず疲れる時があると言っていました。
人には今までの環境から出来た自分の性格やタイプがあるので、何を持って幸せとするかは人それぞれではあるが、例えば子供のいる親は、自分のクリアを味わうだけでなく、子供の達成感の手助けをする。
そういうシーンに立ち会う事が幸せで、それを出来やすい環境に、国だけじゃなくて自分達も持っていくべきかと思う。
「自己肯定感」
昔からよく低すぎて怒られていた事だが、
簡単に言えば、
頑張って、頑張ったら自分を褒めてあげようというだけのことかもしれない。
まだ課題はあるが、これからだ。