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手放して分かる大切なもの

そんなに早くに辞めなくて、ギリギリまで営業を続けても良かったのだけれど、「年が変わる(お正月生まれの私は1個歳も取る)」というへんてこな区切りで、カフェの営業は新しい店長さんに渡してしまったので、キッチンカーができるのを待ちながらちょっとした充電期間を送っています。

急にプータローになったのでちょこっとアルバイトなんかもしていますし、カフェの営業以外にお店でやっていたことも引き続きやったり、なんやかんやとはやっていますが、圧倒時に「時間がある」という点で昨年までとは真逆の状態になっています。

自分で分からなかったんです。カフェのお仕事を手放してしまったら
せいせいするのか、しないのか。
でもその結論は半月もしないうちに出てしまいました。
やっぱり私はカフェのお仕事が「好き」だったんだな…って。
しかも、一般的な「カフェ」のお仕事じゃなくて、自分がやっていた店の仕事が好きだったんだなって。

お休み期間中に、最近できたカフェをはじめ、何件かのカフェに行ったけど、性分というか癖のものなのか、単なるお客さんとしては楽しめなくて
お客様の出入りや、そこで働くスタッフさんの動きや、どっちかというと「やってる側の目線」で見てしまいがちで、
「あー、この形は私は嫌なんだなあ」と思ったり、お客様が入ってなくても
漏れ伝わってくる空気感で好きだなと思ったり。
自由なようで自由でない「店舗経営」はしんどいと思っていたはずなのに、
「次やるときはこんな風にしたい(予定はないよ(笑))って思ったり。

大切なものは手放して分かるというけれど、そんな当たり前のことを60前にして改めて噛みしめたりしています。

一昨年サポートさせていただいたベーグルやさんに行ってきました。
店主さんに「みるださんがいなくなったら、みんな寂しがってるでしょ」
と言われつつも、「でもそれだけでは続けられない部分もあるよね」と
言ってくれて、救われた気がしました。この言葉、どこかで誰かに言ったことがある気もして、自分の言葉に自分が救われたという感もあります。
利益を出して長く続けていくことが商いなので、もしもう一度新しいお店をやることになったらそれはそれで悩ましいことが必ず出てくる。
でも今は純粋に、自分のやっていたカフェは少なからず誰かの役に立っていて、それは売り上げがどうこうとは別に大切にしたい側面であったと実感しています。

もうひとつ感じているのが、カフェの開業に関するサポート。
カフェ開業のサポートも、正直言うと、カフェの売り上げを押し上げる一つの手段として捉えている部分があったけど、今は心から自分の経験が誰かの役に立つのならそうしたいと感じています。硬く言えば他者貢献が自分の癒し的な…

まあ手放したらから気づいたのか、
手放す前は余裕がなかったからなのか、
どちらにしてもニュートラルな今、
私はこれからの自分の進む道を計算は度外視で感じ考える時間をもらっているのだと思って、大切にしたいなと思っています。

の割には昼寝とかしてるけどね(笑)



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