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日本の歩き方 《関西編》         <第2回> 万葉まほろば線の旅

前回(第1回)は、和歌山県串本の人びとの明治期における海外との遭遇や民度の高さを見てきました。JR紀勢線で上りに乗ると大阪天王寺に着きます。天王寺からJR大和路線に乗り、大阪と奈良の境を過ぎると展望が開け、「大和は国のまほろば」を実感できる風景が広がります。終着のJR奈良駅は1934年に建てられたもので奈良の趣を映し出しており、現在は近代化産業遺産になるとともに、奈良市の総合観光案内所としても活用されています。

奈良市の総合案内所として使われている旧JR奈良駅

【古墳街道をゆく】

JR奈良駅で「万葉まほろば線」に乗り換えると、次の駅は「京終」。ここは都の果てという郷愁を誘うノスタルジックな駅名です。この駅舎は1898年(明治31年)に建てられ、120周年を迎える2019年に全面的に改修され、駅ピアノも置かれています。ぜひ途中下車し、駅カフェ「ハテノミドリ」(営業:11:00~)で休憩しましょう。

京終駅の内部

万葉まほろば線の列車には大きい窓が取り付けられており、眺望が非常に素晴らしい。天理を過ぎると三輪まで田園地帯を進み、やまのべの道を背景にヤマト王権(大和朝廷)の古墳群が存在する絶景「古墳街道」を堪能できます。

JR万葉まほろば線の車窓から

京終から駅を五つ進むと天理市の柳本駅に着きます。この駅にも駅ピアノが設置されています。駅から東方向に山野辺の道に向けて進む道は古墳の町だけあって、落ち着いた佇まいを見せています。300mくらい行ったところに黒塚古墳があります。ここは、前方後円墳の中から30枚以上の三角縁神獣鏡が発見されたことから「魏志倭人伝」に記述されている卑弥呼の墓でないかと推測されています。

黒塚古墳
黒塚古墳内部の石室

さらに一駅進むと、桜井市の纏向(まきむく)駅に着き、その周囲には纏向遺跡群が存在しています。中でも箸墓古墳はその大きさと作られた推定年代から、黒塚古墳と並んで卑弥呼の墓ではないかと推測されています。卑弥呼はどちらの墓に眠っているのだろうか? (2024年になって奈良市富雄でも卑弥呼の墓とされる丸山古墳が発掘されています。)

黒塚古墳から望む三輪山と箸墓古墳

3世紀後半の卑弥呼の時代から4世紀後半の高句麗における好太王碑への記録までの100年間は歴史書に日本の記録がなく「空白の100年」とされています。この時代は中国においては三国志の時期に相当し非常に興味深いです。その後、中国ではさらに五胡十六国という分裂時代が続き、南朝である宋の「宋書倭国伝」においてようやく雄略天皇に相当する王が記録されており、雄略天皇が最古の実在する天皇とされているようです。

【大和三山をめぐる】

纏向駅からさらに3駅進むと香具山駅に着きます。ここから約30分南の方向に歩くと、香具山の南の入り口、万葉の森に着きます。駅から万葉の森の間に喫茶店はカフェ・ド・サンティエくらいしか見当たりません。万葉の森から香具山頂上に向けて多くの歌碑が待っていてくれますが、筆者が訪れたときは山頂への道が見つかりませんでした。

万葉の森から香具山山頂につながる(はずの)道

香具山の西にある藤原京跡東側から約10分歩いてゆくと奈良文化財研究所に突き当たります。ここの横に香具山に登る登山道があり、道があまり整備されていないのでウォーキングシューズで登ることをお勧めします。山頂からは畝傍(うねび)山を眺望することができます。

香具山登山口
香具山山頂から畝傍山を臨む

JR香具山駅から西方に約1時間歩くと耳成(みみなし)山に着きます。歩く距離は長いですが、運がよければ庭に花が咲き誇る民家の並ぶ道筋をたどることができます。耳成山には緩やかに上る登山道が作られていますが、頂上にたどりついても眺望が開けないのが残念です。明日香の甘樫丘からは大和三山を全て眺めることができます。甘樫丘登山口には駐車場があるため、車でも自転車でも容易にアクセスできます。

耳成山

大和三山と言えば、かつてNHKから1981年に「万葉の娘たち」が放送されたことを思い出します。ぜひ再放送をお願いしたい。

【橿原神宮への道】

JR香具山駅の次は畝傍駅です。 万葉まほろば線の列車は2両連結なのですが、畝傍駅のホームの長さは長大です。これは、かつて近鉄が営業を始める前に、当駅が橿原神宮への参拝に使われて多くの旅客を輸送していたからです。畝傍駅を出て近鉄の大和西八木西口駅の方向に少し歩くと1928年竣工の旧第六十八銀行八木支店のビルが現れます。現在はフレンチレストランJour Ferierとしてリノベーションされています。

JR畝傍駅
Jour Ferie(旧第六十八銀行八木支店)

Jour Ferieの前の道を約200m西に進むと近鉄八木西駅の南に出ます。その前に飛鳥川が流れており、畝傍山との間に江戸商人の今井町が現れます。今井町の中には古民家カフェもあるので、くつろぎながら散策することができます。まちなみ交流センターとして使われている「花甍(はないらか)」の中には今井町の成り立ち解説する展示が多く、今井町は戦国時代には周囲に濠をめぐらし、織田信長と戦った歴史を持つことがわかります。聞き取りによると、江戸時代に木綿で財を成したようです。

今井町のまちなみ
まちなみ交流センター「華甍」

今井町から約1km南に下ると神武天皇陵に到着します。神武天皇は古事記日本書紀によって日本の初代天皇であるとされています。ここから約500m南に下ると、橿原考古学研究所附属博物館に着きます。当博物館では、2024年3月30日~4月7日にかけて、富雄丸山古墳から発掘された蛇行剣が展示されました。日本史における空白の4世紀の謎が解ける日が近いかもしれないですね。

橿原考古学研究所附属博物館
橿原考古学研究所付属博物館で展示された蛇行剣

考古学研究所の道路を挟んで西向かいが橿原神宮北参道になります。このように、天武天皇陵、考古学研究所と橿原神宮が畝傍山を借景とするようにとり囲んでいます。

橿原神宮内拝殿

橿原神宮北参道入口から100mほど行ったところの右手に空母「瑞鶴」の碑があります。「瑞鶴」は駆逐艦「雪風」と並ぶ殊勲艦であり、真珠湾からマリアナ沖海戦に至る主要海戦に参加するも、レイテ沖海戦においては既に艦載機を操縦できるパイロットなく、囮として最期の出撃をせざるをえませんでした。この好機を活かすことなく反転した栗田艦隊の行動に問題があります。瑞鶴の碑の左側には「航空母艦瑞鶴戦没者名簿」と「第13期海軍甲種飛行豫科練習生 殉國之碑」があります。

航空母艦「瑞鶴の碑」

橿原から少し南下すると古代のロマン漂う「日本人の心のふるさと」明日香(飛鳥)に着きます。この「日本の歩き方」シリーズでとりあげるよう準備しています。



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