ロプノールの風

2023年度末に退職しました。これからは、仕事とかかわりのあった国内や海外の各地を旅しながら現地情報を発信し、危機に揺れる世界について考えていきたいと思います。いつか、西域楼蘭の都にたどり着きたいです。

ロプノールの風

2023年度末に退職しました。これからは、仕事とかかわりのあった国内や海外の各地を旅しながら現地情報を発信し、危機に揺れる世界について考えていきたいと思います。いつか、西域楼蘭の都にたどり着きたいです。

最近の記事

ヴェネツィア 本の紹介

最近、書店の旅行ガイドブックコーナーでよく「大学的ガイド こだわりの歩き方」を見かけます。そのシリーズの中で、唯一の海外版は「オーストラリアガイド」です。筆者は1986年のアメリカ旅行から「地球の歩き方」を愛用しています。当時はアメリカとヨーロッパの「歩き方」しかありませんでしたが、その内容は1日5000円での旅をポリシーとし、とくに地方都市への行き方もカバーする優れものでした。 それから40年が過ぎ、「歩き方」でさえも四つ星以上のホテルと高級レストランの紹介ページが多くを

    • 中国ところどころ

      中国には行ってみたい所が多いのですが、行きづらくなりましたね。 今まで個人旅行を前提に各地を紹介してきましたが、今回はツアー参加や現地の方の案内を前提に、最もポピュラーな北京を外して紹介したいと思います。したがって、現地への行き方の情報はほとんどありません。悪しからず。 大連と旅順筆者は1999年に北京と大連・旅順を合わせたツアーに参加しました。その後、日中関係が悪化し、戦前の両国の関係を想起させるツアーは中止になったのかと思いましたが、ネットで確認するとまだ続いていますね

      • 日本の歩き方《関西編》                第4回 海の京都

        古都京都は完全なオーバーツーリズム状態、気候条件が最悪の夏場でも過密でなかなか動けない状態です。そこで、京都府北部の「海の京都」を紹介したいと思います。京都府もこの地域で「魅力ある観光まちづくり構想」を進めています。 舞鶴舞鶴は軍港として発展してきました。日露戦争の迫る1889年に舞鶴鎮守府が設置され、初代の司令長官は東郷平八郎さんです。東郷邸は現在、舞鶴地方総監部会議所として使用されており、見学は月2回の日曜日に限定されていますので、訪問の際には注意してください。 舞鶴

        • ドイツ『ワーグナーの世界』への旅

          ワーグナーの世界にようこそ。 深沢克己『開港と文明 近世フランスの港町』は、海と川の象徴性について、「海は万人の共有する普遍的空間であるのに対し、川は集団主義的帰属意識のよりどころになる」とし、前者の代表をドビッシーの交響詩『海』、後者の代表をスメタナの交響詩『わが祖国』第二曲『モルダウ』であると述べています。もちろんワーグナー歌劇の多くも後者です。そこで、ライン川とドナウ川に沿って旅しましょう。 ジークフリートの神ライン川はスイスのボーデン湖を発し、ドイツとフランスの国境

          日本の歩き方《関西編》        第3回 水都 大阪

          大阪はタイ・バンコクに似ていますね。両者とも大河川の下流にあり、商業都市として発展しました。そのため、街の緑が少ないのです。大阪ではようやくうめきた再開発「グラングリーン」で緑を回復させようとしています。 天保山の渡し船まずは水都大阪の面影がよく残されている大阪港天保山から。最寄りの鉄道駅は地下鉄中央線の大阪港駅です。地下鉄ですが、このあたりは地上を走っています。駅を出て広い道を少し北に行くと、右側にカナダからやってきた9 Borden Coffeeがあり、ここでは焼サンド

          日本の歩き方《関西編》        第3回 水都 大阪

          バンコクところどころ 今昔

          サワッディ カ~~。 バンコクがタイの首都になったのは1782年。チェンマイ、スコタイ、アユタヤとチャオプラヤ水系に沿って首都が南下してきました。タイの人びとはクルンテープ(天使の都)と呼んでいます。著者が愛用した「地球の歩き方 ‘94~’95」の「タイ やすらかなる国」には「ひとり旅でもみんなといっしょ 笑顔ゆたかなタイランド 河もゆるやか 人もゆるやか」とあります。最近はどうでしょうか。 旅の季節日本の冬、12~1月がベストです。日本の寒さから逃れられ、しかも現地は暑く

          バンコクところどころ 今昔

          日本の歩き方 《北海道編》     <第1回> 地球が丸く見える

          2024年、今年の夏は暑い! 猛暑から逃れる別荘を探すには、国内ではここしかない。ということで、道東の旅に出たいと思います。 釧路 -北海文学と湿原の街-釧路の歴史は石炭と漁業から始まります。 昭和30年代になると、石油の輸入によって石炭産業は斜陽化しますが、さば・さんま漁をはじめとする沖合漁業が飛躍的に発展します。これに続いて、五大水産(日水・ニチロ・大洋・極洋・ニチレイ)が進出し、釧路が一大漁業基地へと変貌してゆきます。製造業においても本州製紙が進出。釧路湿原からも眺め

          日本の歩き方 《北海道編》     <第1回> 地球が丸く見える

          日本の歩き方 《東京編》      <第1回> 丸の内~青山界隈

          六本木にシネ・ヴィヴァンがあったころ1983年に六本木WAVEビルの地下にシネ・ヴィヴァンがオープンしました。「山の焚火」という映画を上映していたことを思い出します。日本がバブルではない絶頂期を迎えたころです。WAVEは青山ブックセンターと東日ビルの間にありました。東日ビルの最上階に近いところにはチェコスロヴァキア国営のパブ「キャッスルプラハ」が営業していました。青山ブックセンターにはクリエイターたちが集っていましたが、現在は文喫という名の書店に引き継がれています。その少し向

          日本の歩き方 《東京編》      <第1回> 丸の内~青山界隈

          日本の歩き方 《瀬戸内編》     『坂の上の雲』をめざして

          NHKで『坂の上の雲』の再放送が始まりました。このため、今回は「関西の歩き方」の続編を予定していましたが、予定を変更して、瀬戸内を船旅しながら伊予松山をめざす旅を紹介したいと思います。 【淡路島】神戸を夜中1時発のジャンボフェリーに乗ると、小豆島に着くのが早すぎるため、一度高松に寄ってから朝の7:30に小豆島坂手港に着きます。上りのフェリーは、坂手港を15:15に出ると神戸に18:45に到着するので、天気がよければその手前で明石海峡大橋を眺めることができます。 淡路島の西

          日本の歩き方 《瀬戸内編》     『坂の上の雲』をめざして

          日本の歩き方 《関西編》         <第2回> 万葉まほろば線の旅

          前回(第1回)は、和歌山県串本の人びとの明治期における海外との遭遇や民度の高さを見てきました。JR紀勢線で上りに乗ると大阪天王寺に着きます。天王寺からJR大和路線に乗り、大阪と奈良の境を過ぎると展望が開け、「大和は国のまほろば」を実感できる風景が広がります。終着のJR奈良駅は1934年に建てられたもので奈良の趣を映し出しており、現在は近代化産業遺産になるとともに、奈良市の総合観光案内所としても活用されています。 【古墳街道をゆく】JR奈良駅で「万葉まほろば線」に乗り換えると

          日本の歩き方 《関西編》         <第2回> 万葉まほろば線の旅

          日本の歩き方 《関西編》         <第1回> 和歌山県 串本

          オーストラリアのダーウィンとブリスベンへの旅行記を投稿しましたが、次の旅行までしばらく間が空きますので、「日本の歩き方」をまず関西地域から、ガイドブックとの重複をできるだけ避けながら投稿していきたいと思います。 和歌山県串本町。人口1万4千人の、漁業が盛んな本州最南端の町です。JR紀勢線を串本駅で降りると、「トルコ友好の町」と書かれたゲートが待っています。丘の上にあるロイヤルホテル(現メルキュールホテル)の客室から左前方に見える朝焼け、夕焼け時の橋杭岩がすばらしく、ホテルの

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          オーストラリア体験記        <第2回> ブリスベン

          前回の<第1回>「ダーウィンの旅」に続き、クイーンズランド州の州都ブリスベンを、今回もガイドブックとの重複を避けながら紹介したいと思います。   ダーウィンからブリスベンまで陸路で目指す計画を立てようとしました。その途中には鉱山の町マウントアイザや、東海岸から西に向かう鉄道の終着駅であるロングリーチ、チャールズビルがあります。これらの都市はグレイハウンド・バスで結ばれているものの、運行間隔が2日に1本程度であり、各都市間を約1日かけて進みます。また、陸路の一部を空路で短縮しよ

          オーストラリア体験記        <第2回> ブリスベン

          オーストラリア体験記        <第1回> ダーウィン

          2024年6月22日から28日までオーストラリアのダーウィンとブリスベンに行ってきましたので、忘れないうちに現地情報を旅行ガイドとの重複を避けながら発信します。今回の投稿が初めてです。 日本経済が失われた30年でもがいている中、オーストラリアは順調に発展しています。その謎を解明したいと思い、ときどきオーストラリア各地を訪れています。 ダーウィンは北部準州の州都であり、オーストラリアの最北部にあるためトップエンドと呼ばれ、人口は約14万人です。日本から行く場合はシンガポール

          オーストラリア体験記        <第1回> ダーウィン