日本の歩き方 《東京編》 <第2回> 渋沢ロードをゆく
渋沢栄一は数年前に大河ドラマ『青天を衝け』でとりあげられたように、日本の産業界を育成して、今や1万円札の顔となった人物です。また、経済と道徳の融和を説くた道徳経済合一論でも有名です。今回は渋沢ゆかりの地を訪れてみたいと思います。
飛鳥山をめぐる
JR京浜東北線の王寺駅南口を右方向に出ると飛鳥山公園内に入ります。その南の方に渋沢資料館があり、渋沢栄一の業績が展示されています。パネル展示が詳しいので、入念に読破しようとすると時間がかかります。
さらに、その南側に渋沢庭園があり、かつて渋沢栄一の旧邸「曖依村荘(あいいそんそう)」が建築物としても価値の高い青淵(せいえん)文庫として保存されています。ここは螺旋状の階段がすばらしいのですが、二階には登れないようになっています。その南に、洋風茶室の晩香廬があります。渋沢資料館の入場チケットを購入すると、青淵文庫にも晩香廬にも入ることができます。
世界遺産 富岡製糸場
ここから、渋沢栄一や尾高惇忠が大きく寄与した世界遺産・富岡製糸場の案内となります。JRの北陸新幹線か上越新幹線で群馬県の高崎に行き、そこで上信電鉄に乗り換え、約1時間で上州富岡駅に着きます。電車は1時間に2本出ています。そこからは案内表示が多く設置されており、道に迷うことなく徒歩約15分で製糸場に着きます。
製糸場では製糸機械が最も注目される見どころですが、その他に置繭所や機械を動かすブリュナエンジンなどがあります。機械類の他に、パネル展示による解説も多いので、全てを読んでいくと東京からは1日がかりの行程となります。
世界遺産内には食事をするところがないので、見学の前後に道中のところどころにある店で食事をすることになります。工場だけではなく、工場を支えた富岡町(1954年から富岡市)も見てみましょう。生糸は明治の日本にとって貴重な外貨を稼ぐ第一の産業でした。生糸の他に緑茶やコメも輸出されましたが、生糸が突出した重要性を持っていました。生糸が稼ぐ外貨によって、日本は速射砲を装備する快速巡洋艦「吉野」や戦艦「三笠」のような兵器とともに、近代工業化に必要な機械類を輸入することができたのです。
渋沢ロードを歩く
兜町の渋沢ロードに行く前に、まず日本銀行発祥の地を訪れてみましょう。地下鉄半蔵門線を水天宮前駅で降りて、一番前(南)の出口を出て100mくらい進んで箱崎湊橋通りを過ぎ、さらに100mくらい行ったところを右に曲がると日本IBM本社があります。その南西側に日本銀行発祥の地があります。さらに20mくらい進むと、隅田川にかかる永代橋と日本橋川にかかる豊海橋を同時に視野に入れられる場所(隅田川テラス)に着きます。ここには江戸時代に「深川の渡し」があり、現在の橋は明治30年に架橋され、現存最古のアーチ型の鉄製道路橋となっています。
豊海橋を渡り日本橋川に沿って北上すると、途中の亀島川のところで一時的に永代通りに出ないといけませんが、約10分で東京証券取引所(JPX)が見えてきます。その正面入口で荷物検査がありますが、内部の見学が可能(無料)です。
JPXのすぐ北には日証館があります。ここにはかつて渋沢栄一の自宅がありましたが、関東大震災の後、1928年に東株ビルディングが建てられ、1943年から日証館となっています。最近、その1階がリノベーションされ、チョコ&アイスショップのtealが開店しています。
JPXの北西側の兜町平和第5ビルも最近リノベーションされ、北欧風と和風がミックスしたブティックホテル「K5」となっています。この1階にはコーヒーショップ「SWITCH COFFEE」があり、雰囲気がいいのですが、ドリンク類しかないので、周辺の散策でくたびれた後は別のカフェを探すほうがよいと思います。その横にはレストラン「CAVEMAN」も併設されていますが高そう。
K5とJPXの間の道には、JPX側から山二証券(山一ではない)やフィリップス証券のレトロなビルが並んでいます。その隣の兜町ビルディングの場所には1873年(明治6年)に渋沢栄一によって第一国立銀行が設立されました。現在はみずほ銀行兜町支店となっています。
次に、日証館のところから少し日本橋方向に進むと、昭和通りにさしかかります。その右手がレトロな日本橋ダイヤビルディング(旧.三菱倉庫江戸橋倉庫ビル)であり、近代化産業遺産として保存されています。また、左手は郵便発祥の地であり、今は日本橋郵便局となっています。
次に、日証館のところから少し日本橋方向に進むと、昭和通りにさしかかります。その右手がレトロな日本橋ダイヤビルディング(旧.三菱倉庫江戸橋倉庫ビル)であり、近代化産業遺産として保存されています。また、左手は郵便発祥の地であり、今は日本橋郵便局となっています。
さらに日本橋方向に進むと、野村証券の旧本社ビルがダイヤビルディングと同じように、外見を保存したまま高層化する手法で改築されています。日本橋に着くと、そこは日本橋川や神田川方面へのクルーズ船の発着場となっています。その横には、日本橋魚市発祥の碑もあります。ここまで来ると、昭和通りにはカフェが多いので、落ち着いて飲食できそう。
ここまで東京と上州富岡市の渋沢栄一ゆかりの地を案内してきました。しかし、まだ渋沢生誕の地・埼玉県深谷市にある渋沢栄一記念館をカバーできていません。次の機会をとらえて実現したいと思います。
今回の「渋沢ロードをゆく」をアップロードした後、筆者はオーストラリアへの旅に出ます。このため、次回の投稿は3月になり、しばらくオーストラリア編が続くと思います。読者の皆様、よい新年となりますように。