痛恨の有料デビュー
私は今、悩んでいる。いや、「もんもんとしている」と言った方が正確かもしれない。
「あの記事、有料にするべきではなかったのでは?」という考えが頭をよぎる。何を隠そう、その記事は記念すべき最初の自己紹介だ。
書き始めの勢いそのままに、「これぞ私の原点!」とばかりに有料化ボタンを押してしまったのだ。
しかし、時が経ち、冷静になって気づいた。「いや待て、これ、無料にすべきだったのでは?」
一度押したボタンの重み
それでも、無料に戻すことはできない。なぜなら、すでに買ってくれた人がいるのだ――たとえそれが家族であったとしても。お金を払ってくれたのだから、その誠意を踏みにじるわけにはいかない。
AI先生がくれた転機
もともと私は、すべての記事を有料にするつもりだった。なぜなら、私の記事は基本的に自己満足であり、不特定多数に読まれることを想定していない。目に触れられたくない気持ちがあったし、「これを書いた人、意外と内向的なんだな」と察してほしいくらいだ。
ところが、運命の転機が訪れる。AI先生にお願いしたところ、これが思いのほか素晴らしい出来だったのだ。「え、こんなにまともな文章になるの?」と思わず感嘆。気がつけば、「これなら無料公開しても恥ずかしくないかも」と意識が変わっていた。AI先生、恐るべし。
無料と有料永遠の悩み
しかし、ここで新たな悩みが発生する。「どれを無料にして、どれを有料にすべきか?」
別に全部無料にしてもいいのだが、AI先生の力を借りた結果、出来上がった文章が想像以上に素敵だと感じると、「これは有料にしてみてもいいのでは?」という欲も湧いてくる。とはいえ、自分の力ではない部分が多いので、「これでお金を取るのは気が引ける…」という葛藤もある。
気まぐれルール、ただし一度きり
結論として、私は気まぐれで設定することにした。この文章は無料、この文章は有料、と、気分に任せていこう。ただし、一度有料にしたものを無料に戻すことはない――これだけは、家族を思い浮かべて決意した信念だ。
悩みながら進む執筆の道
こうして私は、今日も悩みながら記事を書く。AI先生に感謝しつつ、自己満足の文章たちがどれほどの価値を持つのか、自問自答を続ける。きっとこれも、ノートを書く楽しみの一環なのだろう。
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