何のために

このnoteはとりあえず100人に読んでもらうまで続ける。自分の愛の表明、怒りの表明、同志の先導のために。

何のためにnoteを書くか。人のためか。自分のためか。認知を得るためか。
恐らく人のためではない。自分が他人のためにやれることはないと思っている。それほどに自分には余裕がない。自分にはコップから溢れ出るほどの愛情はない。だから人に分け与えることもできない。悲しいことだ。愛情に恵まれた人にその役割はある。では自分には何ができるか。人に与えることもできない。人と楽しむことはできる。ただその人のそばにいることはできる。(もちろん妄想だが。)今の自分には人脈がない。遊ぶ仲間も、意見を共有する仲間も。だから意見を共有できる同志とプロジェクトを起こす、活動をするということもできない。では自分に何ができるか。つまり一人で突っ走ることだ。今自分に人脈がないのは今必要でないからだ。人は必要な時に必要な人と必ず巡り会うと考える。今自分ができることをやって、やって、やり切って。その先に新しい世界が開けるだろう。とにかく思いつくことは全部やることだ。
幸い自分は考えることについては恵まれた。「何故生きるのか」、「何故この仕事なのか」、「何故この選択なのか」という問いには確固たる信念を持っているつもりだ。自分の思考、感覚、感情を内省し、俯瞰した意思決定をすることには長けている。その長所を使うべきだ。私が人に分け与えられるものはそれぐらいしかない。その一端をこのnoteに担ってもらおうと思う。これが私のnoteをする理由だ。

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