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"それまでの明日"

 その白い部屋はあくまで清潔に保たれ、四囲の壁には所狭しと書籍や書類綴が詰め込まれた棚や、恐らくは何らかの薬品であろうと思われる、様々なラベルの貼られた小瓶が整然と置かれたキャビネットが並んでいる。部屋の中にはミコッテ族の若い女性と、長身のエレゼン族の男性の姿がある。彼の整った顔立ちは、白と言ってしまってもいいプラチナブロンドの髪の印象を裏切る若々しさだが、瞳に印象相応と言えない、老成した佇まいが宿っている。
「ララー先生、ありがとう。今日の外来はこれで全部......あとはゆっくりしてもらっていい」
「今夜の当直はロイファ先生でしたっけ?」
「ああ、そうだったかな。彼も段々ここでの勤務に慣れてきたようだね。ああ、お遣いだてして済まないのだけれど、帰り道にでもマキシマさんのところに寄ってこのリストを渡しておいてほしいんだ。こないだララー先生が医薬品の補充に加えて欲しいって言っていたものも含まれているので」
 「了解しました」ララーと呼ばれたミコッテの女性は彼を見て、薄く微笑むと、「院長先生もほどほどに、ね?」と声をかけて部屋を出ていった。
 彼はふと息をついて、部屋に一箇所だけ設けられた、執務デスクの脇の窓の外の吹雪を眺め、大きく伸びをした。それから先程まで診察していた患者のカルテを書類綴に戻し、椅子から立ち上がった。
 彼の耳元で、信号音が小さく鳴った。
 ふと顔をしかめたが、彼のプライベートなリンクパールに直接連絡を入れてくるものは今となっては限られている。少なくとも急を要する事態ではなさそうだ。
 通話をonにすると、彼の耳に若い女性の声が飛び込んでくる。
「あ、ごめん!忙しかった?」
「君がそんなことを気にするとはな」彼は苦笑交じりに返した。「今午前の診療が終わったところさ」
「なによ!なんだかわたしにはデリカシーのかけらもないみたいじゃない!?」
 女性の声は憤慨と同時に苦笑を伝えてきているようだ。彼は彼女の声を聞いて、口の中でつぶやく。やれやれ、相変わらずだ......
「前に話したのも、1年前だったね。で、この時期に連絡をくれるということは......?」
「そう、今年こそは出られない?カルテノーの戦没者追悼集会。今年10周年なのよね」
 彼の顔に複雑そうな表情が浮かぶ。そう、あのカルテノー。誰にとっても忘れようのないあの言葉の響き。自分のここまでの人生も、彼女のそれも、決定的にそこに結びついている。
「もう、私たちがしゃしゃり出る時ではないんだよ。ああいった集会の意義は私もよくわかっているつもりだけれども、ね。君にしたところで、7周年以降は出席を控えているんだろう?」
「ま、まあ、そうなんだけれど......」彼女は少し濁した語調で返した。「私の場合はまあ、その、ね......」
「事情は理解しているさ。時に、ラハは元気かい?」
「うん、元気は元気。まあ、こないだもお父様とうちの子の教育方針をめぐって大喧嘩してて......」
 頑固で鉄面皮ながら熱い心を持つ、彼と彼女の父......今はシャーレアンの哲学者評議会議長を務める、厳格で愛嬌らしきものなど表に垣間見せることなど、かつては決してありそうにもなかった、あの父が、孫が出来た途端にすっかり幼子に夢中になってしまい、娘夫婦から娘を取り上げては、「じぃじ」っぷりを発揮して、娘婿......かのアラグの血脈を受け継ぐ、"水晶公"とも呼ばれた鉄の意志を持つ男......と愚にもつかない家庭争議を繰り返しているというのだから、世界もなにやかやと平和になったものだ。
 そう、世界の終末に立ち向かったあの日々からもう5年。まさか行をともにした同志であった彼が、自分の義弟になろうとは。
「......お母様が、たまには帰ってらっしゃいって言ってたわよ?お母様もこないだから、うちの子にママって呼ばせようとしてて、"わたしはおばあちゃんじゃないわ!あなたはお母様、わたしはママよ!"って......確かに孫がいるようには見えないものね、お母様は。」
 妹の声が彼を想念の縁から連れ戻す。
「なかなか手が離せないからね。私は私なりにとても忙しいので。母上にもよろしく伝えてほしい。この前もユルスと話したんだが......」
「まあ!ユルスは元気にしているの!?」
「彼も忙しくしているよ。誰かさんに失恋した傷手で、寒中水泳だか身投げだかをやらかして、一年くらい寝込んでいたけれども、今はマキシマ市長と、街の復興事業に全力投球の日々だからね」
「あ、あれは仕方ないわ!ユルスも素敵な人だけれど......わたしにはあのひとがいたし......」
 妹の困惑と含羞、そして今も断ち切れない憧憬を聞き取って、彼は我知らず微笑んだ。
「そう、みんな、彼女に憧れた。彼女の背中に導かれ、追いかけて......」
 リンクパールの奥の妹の声がふと止む。何かを思い返しているのだろう。しばらくして彼女の声が戻ってくる。
「あのひとがあんなことになってしまって、あの時のラハくんは見ていられなかったの。あのひとのために、あんなに苦難を積み重ねて水晶公にまでなったひとだもの。それがあんなになってしまって......わたしにしたって、ラハくんのことは言えなかったけれど......だからわたしとラハくんが結婚しますって言った時、みんなが反対したんだよね。傷を舐めあってるだけで、そんなのはよくない、って。でもそんな中で、一番辛辣な事言いそうな"アニキ"が、背中を押してくれたんだものね......」
「スルメを齧りながら、言っていたね。"傷を舐め合わなければ立っていられない時は、舐め合えばいい。それでいつか必ず明日に立ち向かえるなら、それでいい"なんて。彼らしくなさそうで、けれど彼らしいといえばらしい言葉だったね。私もそれを聞いて、思うところがあって、賛成したのだから」
 そう、あの長い旅の中で、いつしか私たちの兄のようになった勇壮な竜騎士。いつか自分も彼を兄として頼るようになったし、時々は冗談めかして"アニキ"なんて呼んでいるけれど、彼は今はどこを旅しているんだろう。
「まあその"アニキ"が、こないだヒルダと婚約しちゃったんだもの。あれは意外だったけれどね!どこでどう間違ってああなったんだか......アイメリク総長もびっくりだもの!でもあのふたり案外似合いだわ!この前すごく幸せそうにイシュガルドの宝杖通りを......」
 これはさすがに意外だ。"武人"という言葉が甲冑を着て歩いているようで、案外抜けたところも、気さくなところもあって、そのせいでかえってよくわからない人と思われがちではあるのだけれど、とにかく朴念仁もいいところで、このアーテリスでもっとも色恋から遠そうな、あの"アニキ"が。
 そして、案外妹がその手の話が嫌いではなかったことを彼は思い出す。そう、相変わらずだ。無鉄砲で、直情径行で、辛辣そうで、けれど温かい心をいつも持っている、我が妹よ。
「でも、今はラハくんと、幸せだよ。ラハくんも、そうだったらいいなって......」
 幸せだとも、きっと。君といて、幸せじゃないはずはない......彼はその言葉を飲み込んだ。
「あのひとも、喜んでくれるかな。喜んでくれるといいな......」
「で、他のみんなは?出席するのかい?」
 少しセンチメンタルなものが混ざり始めた妹の声に、慌てて彼は話題を変えた。
「ううん......ウリエンジェは月世界に行ったまま。うちのベビーシッターにレポリットたちを寄越してくれたんだけれど、"大宝物殿のオープンまで日がありませんから"って言ったきり梨の礫だし、まあ元気にはしてるのかな。サンクレッドは今でもミンフィリアの面影を追いかけて旅を続けているみたい。シュトラはヴォイドゲートにまつわる実験を続けていて、ゲートに飲まれて消息を絶ってしまったまま。暁の関係者で出席するのは、ラミンやホーリー・ボルダーやクルトゥネたちかな。リセやアレンヴァルドはアラミゴ暫定政府の肩書で出席するけれどね。クルトゥネが言ってたわ。"英雄の依代を務めるのは、我々のような凡人には骨です"って」
「そうか......」
 リンクパールの奥の気配が戸惑いを帯びているのに彼は気付いた。
「どうした?」
「ねえ、もしかして、あのひとがいないから、出席しないの?」
 妹の声はあの頃と同じように切迫したものを含んでいる。
「そう、だな......いや、そうじゃない」
 しばらくの沈思のあと、彼は言った。
「終末を退けたあとも、彼女は、変わらずに世界を駆け続けたね。世界のあちこちにある、傍から見たら些細な、けれど見過ごせない人々の声に手を差し伸べ続けた。一度彼女が聞かせてくれたことがあるんだけれど、私たちが相対したハイデリンも、人の身だったころ、あんなふうに世界を駆け続けて、小さいけれど見過ごせない、救いを求める声に手を差し伸べ続けたんだそうだ。"わたしは彼女を師だと思っているんだけれど、わたしと同じように世界を走り回ってたことを聞いていたら、わたしがしてきたことは間違ってなかった、ってはじめて心から思えたよ"って、そう言って微笑んだ彼女の顔を今でも覚えているよ」
「そう!いつもバタバタ世界を走り回って!いなくなっちゃう前まで、時々いっしょに走り回ったもの!背中をかばい合って、いっしょに笑ったり、怒ったり、泣いたりして......」
「彼女はきっと、そういうひとなんだ。私たちにとって、英雄なんて言葉では語り尽くせない、永遠の青春のシンボルなんだよ、きっと。みんな彼女に憧れて、その背中に追いつこうとして、追いつけなくて。そして、いつか知る日が来るんだ。彼女のようにはなれないって、ね。そうして自分の歩くべき道を見つけていく。彼女はそうやって、私たちを大人にしてくれた。そういうひとなんだろうな。シャーレアンにあるどんな本よりもわかりやすく、けれど雄弁に、色々なことを教えてくれた。
 そんな風に背中を追いかけた私だからこそ、思うんだ。今私がすべきことは、過去の功業の名残の場に並ぶことじゃない。そうすることを否定しているわけでもないし、そうすることに意味がある人はいる。ただ、それは私ではないよ。今の私がすべきことは、この氷雪に閉ざされた街で、ひとりでも多くの患者に手を差し伸べること。眼の前で助けを求める生命に向き合うことなんだと、ね。ひとりの生命に目を向けられない医者が、エオルゼアを救えるはずがない。私の生涯の命題は、君も知っているだろう?アリゼー」
「ふん、なによ!立派なこと言っちゃって!アルフィノのくせに!どうせ今でも泳げないくせに!」
 彼の妹はいまいましげに言ってから、慌てて付け加えた。
「でも、でも、ね。そういうアルフィノを、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ素敵って思うわ。まるであのひとみたいって。ほーんのちょっとだけだけど!」
「君の初恋のひとのようだ、と言われるのは悪い気はしないな。今の私がちょっとでも彼女の心に報いることができているといいのだけれど」
「まだまだ、あのひとにはぜんぜん!」相変わらずムキになりやすい彼の妹は言った。「でも、あなたにとっての初恋のひとでもあるもんね?」
 思わず彼は少しだけ得意げな表情になった。どうやら、彼の秘密を妹は知らないらしい。
「彼女は私の心の英雄で、心の師だよ。彼女がハイデリンに師を感じたようにね。けれど、初恋の人は、彼女ではないよ」
 息を飲む気配。そして鼓膜が破れそうなほどの叫びが聞こえてきた。
「どういうこと!どういうこと!どういうこと!それ誰よ!!教えなさいよ、アルフィノ!」
「私の素晴らしき妹よ、君にも、知るべきではないことがあるのさ」
「なんですって!アルフィノのくせに!泳げないくせに!12歳までおねしょしてたくせに!お父様とおんなじでキャロット食べられないくせに!ほんとに、アルフィノといい、お父様といい、エスティニアンといい、ラハくんといい、歳上男って人種はなんでこうなの!!」
 しばらく妹の叫びと爆発に付き合って、サイオンズ・ホスピタル・ガレマルドのアルフィノ病院長は、正式な返答は後ほど実行委員会に伝えるが、自分の追悼集会への出席は期待しないでほしい旨を妹に繰り返し伝えて、通話を切った。
 執務机の上に飾られた、小さな家族の肖像画の額を手に取る。顔を引き締めようとしているのに、微笑みを噛み殺せずにいる若い頃の父、今とあまり変わっていない華やかな雰囲気の母の美貌、そしてその後ろで両親の肩に手を置いて佇む祖父の、大賢者の風格に溢れた顔。2歳くらいの自分と妹は父母の膝の上で邪気なく笑っている。そんな家族の肖像。
 しばらく、キンキンと響く耳を休ませるかのようにさすった後、おもむろに額の背板を外す。
 こればかりはあのかしましい妹にも言えない。話そうものなら、三大都市国家の女性首長たちのお茶会でのガールズトークの格好な話題にされるに違いない。妹が黙っていられるとは思えないから。提督閣下も角尊さまもこの手の話題が大好物なのは、昔あのひとから聞いて知っているし……
 額の奥から彼が手に取った、少し黄色くなった紙には、黒鉛の柔らかいタッチで描かれた髪の長いエレゼンと思しき女性と、彼女からの接吻を受ける少年時代の彼が描かれていた。若き日に彼が描いた、初恋のひとへの、伝えることの叶わなかった思慕を描いた肖像。
「少女が雪原のただ中で、凍えずとも済む時代を、いつか必ずあなたに見せてあげるから......」
 アルフィノ院長はそうつぶやいて、これからも誰にも見せることのない初恋の記憶を額にしまいこんだ。

初出:Lodestone 2022年9月に一部加筆修正を加えたものです。


[自作解題]
基本的に解題は本文前に書きたくないので、こちらで。
書いたのが6.1か2くらいの頃だっけかな。大宝物殿云々って話(G14地図のあれですね。アルザダールにコンサポでいくと言及されます)を書いていますね。何にせよこれを書いた時点ではゼロたちの結末も何も作者は知りません。なので、そこいらをふんわりした感じでぼかして、世界はとりあえず平穏を取り戻して、5年位経って、第七霊災からの復興へと人々が強く歩いている時期のお話という感じにしました。
ヒカセン≠自分。ただし、彼女も私同様同性愛気味で、恐らくゼロたちの物語が終わったあと、アリゼーと結ばれていたようです。
作中ではヒカセンは何か不慮の事故でこの世界にもういません。
そんな感じの世界を想定しながらこの作品を書いていきました。

周辺の人々にも少しだけ。
冒頭で出てくる"ララー先生"や"ロイファ先生"は賢者ジョブクエの登場人物たち。現状ではアルフィノ院長のもとで医師になっているようです。
眼鏡と理知的な声音が印象的なマキシマ氏は恐らく市に発展したブロークンアローの市長として、ユルスを片腕に被災地の再建・復興に尽力しているのでしょう。

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