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国立能楽堂定例公演六月

国立能楽堂定例公演六月
狂言「無布施経(ふせないきょう)」

能「熊野(ゆや)」
読次之伝(よみつぎのでん)・村雨留(むらさめどめ)
墨次之伝(すみつぎのでん)・膝行留(しっこうどめ)

狂言「無布施経」は、毎月の決まりで檀家の家に経をあげにきたお僧が、読経を終えていとまを告げるが、その日に限って、毎月出るはずの布施が出ない。施主が、その日は朝からの多忙で忘れていたのである。僧は、一度は諦めて帰ろうとするが、これから、これがためしとなっては困ると思い、施主に対して再三、あれやこれやと「ふせ」という言葉を織り込んで雑談をしたり説法をすることで、なんとか施主に「布施」を出すことを思い出させようとする狂言。
お僧はなんとかして施主からお布施を引き出そうとするが、それに施主が気づいてお布施を渡そうとすると、今度はお僧は翻ってそんなつもりはないと言う。欲と虚栄という人間の普遍的なところを描いた、とてもわかりやすく面白い狂言である。
この日は、お僧を重要無形文化財保持者個人認定(いわゆる人間国宝)の野村萬さんが演じる予定であったが、体調不良で休演、息子の九世野村万蔵さんが代演した。
萬さんは九十四歳とたいへんご高齢なので心配。

能「熊野(ゆや)」の熊野は、遠江池田の宿の長の女性である。当時、宿場には、時の権力者もしばしば旅の途中で訪れており、宿の長というのは、そういう権力者たちを迎賓し接待をする役割を担う責任者であった。もちろんその中には遊女としての役割も含まれるが、宿場を統括する長として知性と美を兼ね備えていた。
熊野は平宗盛(平清盛の三男)に仕えており、長く池田の宿を離れて久しく都住まいであつた。
その熊野に、老いた母が重病である旨の文が届くが、その文を宗盛に見せて暇乞いをするも、宗盛はそれを許さない。ときは春、花の盛りで、あろうことか宗盛は、暇を許すどころか花見の伴を命ずるのである。
老母に会いたい気持ちを抑えて、接待役としての自らの立場を弁えて酒宴に加わり宗盛に酒の酌をして、さらに毅然と舞を舞うのである。
宗盛は徹頭徹尾偉そうな権力者として描かれる(けっこうやな感じ)。
自らの館から花見の場の清水寺までは目と鼻の先の短い距離にも関わらず、わざわざ遠回りをして、自らのものとしている美しい熊野を周囲に見せびらかすのである。
その有様が能舞台の上でありありと表現される。
熊野の舞の途中で村雨が降り出して花が散りかかるのを見て、また母のことが思いやられ、熊野はその思いを和歌に詠んで短冊にしたためて宗盛に見せると、宗盛もようやく熊野を哀れに思い帰国を許すのであった。
その和歌は、「いかにせん都の春も惜しけれど、慣れし東の花や散るらん」(平家物語より)
また老母からの文の中にも次の和歌が引用されていて、「老いぬればさらぬ別れのありといへば、いよいよ見まくほしき君かな」(古今集在原業平の母の歌)
それを受けて在原業平の返歌「世の中にさらぬ別れのなくもがな、千代もと祈る人の子のため」も引用される。
また、「〜伝」「〜留」と四つの小書き(能の特集演出)が付いているが、能「熊野」により劇的効果を加えていて、観る者が魅せられる。
こういった前提を知った上で能を観ると、能鑑賞により理解が深まるのでよい。

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