三浦知之

能楽を筆頭とした、日本の様々な伝統芸能や、古今東西の美術作品などにも関心があるので、それらの鑑賞の記録などを歳時記のように綴っていきたいと思います。

三浦知之

能楽を筆頭とした、日本の様々な伝統芸能や、古今東西の美術作品などにも関心があるので、それらの鑑賞の記録などを歳時記のように綴っていきたいと思います。

最近の記事

ロッシーニとワーグナー

1792年生まれのロッシーニは、オペラの世界で大成功を治め、ロッシーニのオペラに熱狂した人々は、新しいオペラの作曲を期待していたが、1836年、44歳を迎えたロッシーニは人々の期待を裏切って、オペラの世界からの引退を表明した。その理由は明らかではないが、華やかな世界にひそむ空虚さを感じたからではないかと言われている。 ところで、ロッシーニは、ワーグナーとの対談を行なっている。 時期は、オペラの世界からの引退後、20年以上を経た1960年頃に行われたようである。 私の持っている

    • 新国立劇場、ロッシーニ「ウィリアム・テル」

      「ウィリアム・テル」の原作はシラーであり、原題は「ヴィルヘルム・テル」である。 シラーと言えば、ベートーヴェンの交響曲第9番に用いられた「歓喜の頌」が有名であり、誰しもがよく知るところである。 さて、「ウィリアム・テル」は、スイスのルツェルン湖畔の風光明媚な土地を舞台としている。当時のスイスのその辺りはハプスブルク家の勢力下にあり、住民たちは領主の圧政下にあり、代官(悪代官!)による収奪により苦しい生活を送ることを余儀なくされていた。 元来、山間の素朴な地域に暮らすスイスの人

      • 新国立劇場のロッシーニ「ウィリアム・テル」

        昨日、11月20日に、ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ(1792ー1868)のオペラ、「ウィリアム・テル」が、新国立劇場で開幕した。 日本における原語版(フランス語版)による全曲上演は、初めてとのことである。 私が持っている歌劇「ウィリアム・テル(グリエルモ・テル)」の全曲版のCDはイタリア語版によるもので、そのCDに付属のブックレットによると、このオペラは、ロッシーニがパリに滞在していて、パリのイタリア歌劇場支配人の任にあるときに作曲が開始されて、その後上演されている

        • 神田松麻呂独演会

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          神田松麻呂の「畔倉重四郎」連続読み

          週に一度、五週間に亘った、神田松麻呂による「畔倉重四郎」全十九話の連続読みが終了した。 会場は、早稲田にある「こはぜ珈琲」で、二十名ほど入る、講談をみっちりと聴く〜堪能するには絶好の空間である。 南町奉行大岡越前守が、「こいつらだけは絶対に許せない」と言った三悪人のうちの一人が畔倉重四郎である(ほかの二人は、徳川天一坊と村井長庵)。 その稀代の悪党である畔倉重四郎の悪事の馴れ初めから磔獄門までを、松麻呂は、弛緩するところなど一切なく、五週間をかけて見事に読み切った。 松麻呂さ

          神田松麻呂の「畔倉重四郎」連続読み

          芸歴40周年記念立川談春独演会五月

          5月11日(土) 芸歴40周年記念 立川談春独演会 会場が暗転して、いつもの前座の出囃子かと思いきや、「鞍馬」である。 今日は「お楽しみ」の前座噺はやらないということがわかる。 本日ネタ出しされているのは「文違い」と「大工調べ」である。 枕が長かった。三十分以上。 主に「文違い」に関わる枕である。 三代目の志ん朝が亡くなったときに、師匠談志が隣にいた談春に(談春しかいなかったそうだ)、「『文違い』や『三枚起請』を演るやつがいなくなるな…」と呟いたそうだ。 談春は、「ん?それは

          芸歴40周年記念立川談春独演会五月

          芸歴40周年記念立川談春独演会四月

          4月13日(土) 芸歴40周年記念 立川談春独演会 「子ほめ」「除夜の雪」「百年目」 「子ほめ」は、前座が口演する頻度が実に高い噺である。 オーバーに言うと、寄席や落語会での前座のネタで、「二度に一度は子ほめ」に当たると言っても過言ではないくらい。談春は遠い過去にもちろん演っていて、覚えているかと思ったら覚えていなかったとのこと。二度ほど、袖の前座、笑王丸(談笑の弟子)に「これでいいんだっけか」と聞いていたが、これもお座興。 「子ほめ」の口演後、ひとしきりこの後の演目の眼目に

          芸歴40周年記念立川談春独演会四月

          暮れの鈴本 文七元結を聴く会

          「暮れに鈴本で聴く文七元結」 かなり以前の話で誠に恐縮だが、昨年(2023年)末に暮れの鈴本、「文七元結」を聴く会、というのに足を運んだ。 「文七元結」を毎日、演者が変わって口演するという、年末の鈴本演芸場の特別企画の初日、喬太郎の「文七元結」を聴いた。 左官の長兵衛親方夫婦が、娘のお久が行方不明になったことで、娘の身を案じながら夫婦喧嘩をしている真っ最中に、吉原の大見世「佐野槌」からの使いでお久が当家へ赴いていることを知る。そして、長兵衛が「佐野槌」へ行き、女将から、お久の

          暮れの鈴本 文七元結を聴く会

          Eテレ「日曜美術館」(7月14日放送)

          若冲 よみがえる幻の傑作〜12万の升目に込めた祈り〜 初回放送日:2024年7月14日 圧倒的な人気を誇る、18世紀京都の絵師・伊藤若冲には、幻の傑作がある。昭和8年にある図録に白黒写真が掲載されて以来行方不明となった「釈迦十六羅漢図」だ。12万もの升目により画面を構成する若冲ならではの描法による大作。昨年専門家チームが結成され、このほどデジタル復元が完成した。写真1枚から極彩色世界をどうよみがえらせたのか。そもそも若冲はなぜ困難な技法に挑み、作品にどんな思いを込めたのか、謎

          Eテレ「日曜美術館」(7月14日放送)

          国立能楽堂定例公演六月

          国立能楽堂定例公演六月 狂言「無布施経(ふせないきょう)」 能「熊野(ゆや)」 読次之伝(よみつぎのでん)・村雨留(むらさめどめ) 墨次之伝(すみつぎのでん)・膝行留(しっこうどめ) 狂言「無布施経」は、毎月の決まりで檀家の家に経をあげにきたお僧が、読経を終えていとまを告げるが、その日に限って、毎月出るはずの布施が出ない。施主が、その日は朝からの多忙で忘れていたのである。僧は、一度は諦めて帰ろうとするが、これから、これがためしとなっては困ると思い、施主に対して再三、あれや

          国立能楽堂定例公演六月

          唐組「泥人魚」

          唐組の「泥人魚」を観た。 唐十郎さんの訃報は、残念以外の何ものでもなく、あまりにも思いがけないもので、今だに信じられないが、そんな折も折、何というタイミングで、この「泥人魚」は上演されたのだろうか、とその偶然に驚きと巡り合わせを思わずにはいられない。 この「泥人魚」は、諫早湾の干拓事業、通称「ギロチン堤防」がモチーフとなっている。 これまでに、いくつもの唐十郎演劇を観てきているが、この「泥人魚」のように、具体的な社会問題を直接的に作品のモチーフとして取り上げているのは珍しいの

          唐組「泥人魚」

          談春の「死神」

          立川談春芸歴40周年記念興行「立川談春独演会2024」  8月10日(土) 於;有楽町朝日ホール 「たがや」「蒟蒻問答」「死神」 「人はいかにして死神に転生するか(したか)?」というのが、今回の談春の「死神」の主題であろうか? ご存じのように、「死神」は、三遊亭圓朝がヨーロッパの死神の物語を翻案したもので、その原典は「グリム童話(またはほかの物語)」と言われている。 今回の談春の口演は、その「死神」の物語に新たな翻案が加わったとも思えるようであった。 「死神」をざっとなぞって

          談春の「死神」

          喜多流「弱法師」

          喜多流の「弱法師」を観た。 シテを務めたのは友枝昭世さんである。 友枝昭世さんと言えば、喜多流の宗家預かりで、重要無形文化財各個認定保持者(いわゆる人間国宝)という現代最高峰のシテ方能楽師。 場所は、セルリアンタワー能楽堂。 セルリアンタワー能楽堂は、セルリアンタワーホテルの地下にあって、そのせいか狭くて小ぢんまりとしている。 橋懸かりも、たとえば千駄ヶ谷の国立能楽堂などと比べると一段と短い。 しかし、その狭さのせいか、客席が能舞台に著しく近いのである。 橋懸かりの脇の脇正面

          喜多流「弱法師」

          芸歴40周年記念 立川談春独演会「らくだ」

          談春の「らくだ」 談春がまくらで掲げた「人間が不当な状況に置かれて言われのない差別や弾圧を受けること(がままある)」というテーゼ(敢えてテーゼと言ってみた)は、「らくだ」にも通底していた。 「らくだ」という落語は、珍しくも死体が主人公で、長屋中の嫌われ者である極めつけの乱暴者のらくだというあだ名(名前は「馬」らしいが談春はこの名には触れず)を持つ男が、河豚の毒に当たってくたばるところから始まる。 らくだを訪ねてきた丁の目の半次(これもすごい名前だな)という兄貴分の男がらくだの

          芸歴40周年記念 立川談春独演会「らくだ」

          立川談春「慶安太平記」

          談春の「慶安太平記」 「芸歴四十周年記念独演会」で、談春は二回に分けて「慶安太平記」をかけた。 「宇津ノ谷峠」と「吉田の焼き打ち」の二題である。 「慶安太平記」は、由井民部之助正雪の生い立ちから、その後幕府転覆を企んで、その陰謀がまさに事を起こす直前に露見して、それは叶わず自害するまでの生涯を講談に脚色した読み物で、講談では全十九席ある。 談春の師匠談志は、その中から、自分が面白いと思うところを四席ほど選んで、高座で喋っており、それが録音で残っている。 談春は、基本的には談

          立川談春「慶安太平記」

          芸歴40周年興行 立川談春独演会「百年目」

          談春の「百年目」 談春が、「百年目」の枕で語っていたのは、「教えるということはどういうことか」である。 「百年目」という噺は、大店(おおだな)の番頭と主人、そして奉公人の話である。 お店(おたな)の中では、番頭は堅物として知られ、遊びなどには目もくれずそれこそ商売以外にはなんの興味もなく、それを身をもって体現している人間として最初は描かれる。 例えば、番頭の奉公人に対しての小言の中では、「芸者という紗は、夏着るものか冬着るものか。太鼓持ちという餅は焼いて食ったらうまいのか、煮

          芸歴40周年興行 立川談春独演会「百年目」