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新国立劇場「ウィリアム・テル」

大野和士芸術監督の新国立劇場「ウィリアム・テル」を11月26日に観た。
指揮者は大野和士自身である。
ロッシーニが作曲した最後のオペラで、最高傑作とも言われている「ウィリアム・テル」、原語版(フランス語版)による日本初上演で、新国立劇場による、まさに渾身の上演であった。
ロッシーニというと「セヴィリアの理髪師」や「アルジェのイタリア女」などオペラ・ブッファ(喜歌劇)の分野での作品がよく知られているが、この「ウィリアム・テル」に代表されるオペラ・セリア(正歌劇)の分野でも数々の傑作を残している。
「ウィリアム・テル」は、その最高峰の作品と言えるであろう。
ロッシーニの作品は、出演者に非常に難度の高い歌唱を要求している作品がほとんどである。
また、それが一部の歌手ではなくて、ほぼ全員に対して、その難度の高さを求めている。
「ウィリアム・テル」で言えば、あの有名な序曲に続いての合唱の奥から、テノールの美声が聴こえてくるが、その歌声の頂点がハイCなのである!
「キング・オブ・ハイC」と呼ばれていたのは、あのルチアーノ・パヴァロッティであることは記憶に新しいが、この「ウィリアム・テル」第一幕冒頭のテノールの役柄は、言い方は悪いが端役で、カーテンコールでも最初のほうに登場する歌手で、その歌手にしてハイCが求められているのである。
ロッシーニを聴く醍醐味として、出てくる歌手出てくる歌手が、難度の高い旋律を難なくこなす超絶技巧の歌唱力を持っていて、その面々が独唱のみならず、二重唱〜三重唱(「ランスへの旅」という作品では六重唱まで)と繰り出してくるので、聴く側としては目眩く歌唱の世界に身を置いている感に浸ることができる。
そして、ロッシーニは、旋律が進むにつれて、そのテンポ感を含めて、どんどん浮き立つように高揚感を醸成してゆく技法を多用していて、またそれがあまりにも見事なので、快感以外の何ものでもない。
ところで、この「ウィリアム・テル」、独唱の歌手陣が見事なのはもちろんだが、新国立劇場合唱団が実に素晴らしかった。
この壮大なオペラを支えて、さらに聴き応え(観応え)のある次元にまで高めたのは合唱団による功績も相当に大きいのではないかと思う。
演奏は東京フィルハーモニー交響楽団。
こちらも素晴らしい演奏。
全曲の最後、合唱が頂点まで歌い上げたのちのオーケストラの後奏が終わる終活部、月並みな表現で恐縮だが、心身に震えが走った。
この感覚、ワーグナーの楽劇、たとえば「ラインの黄金」を聴いたときに酷似していたなぁ。

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