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暮れの鈴本 文七元結を聴く会

「暮れに鈴本で聴く文七元結」
かなり以前の話で誠に恐縮だが、昨年(2023年)末に暮れの鈴本、「文七元結」を聴く会、というのに足を運んだ。
「文七元結」を毎日、演者が変わって口演するという、年末の鈴本演芸場の特別企画の初日、喬太郎の「文七元結」を聴いた。
左官の長兵衛親方夫婦が、娘のお久が行方不明になったことで、娘の身を案じながら夫婦喧嘩をしている真っ最中に、吉原の大見世「佐野槌」からの使いでお久が当家へ赴いていることを知る。そして、長兵衛が「佐野槌」へ行き、女将から、お久の身を預かる引き換えに五十両を借用するというところまでは、いつもの「文七元結」である。
通常は、この帰りがけに、本所吾妻橋からまさに身を投げんとする文七に遭遇するのだが、喬太郎は、そうしなかった。
借りた五十両で借金の片をつけ、今度は、「佐野槌」の女将に借りた五十両を返済するために死に物狂いで働くのである。一年間でその五十両を返済できなければ、お久は女郎として客を取ることになるので、それはもう必死である。
身を粉にして働いた結果、五十両は貯まり、それを返済日ぎりぎりで返しに行くまさにその当日に、売上金を盗られた(と思い込んだ)文七と、本所吾妻橋でなんと遭遇するのである。
聴いていて思ったのは、女将から借りてすぐの五十両と、一年間死に物狂いで働いて貯めた五十両とでは、同じ五十両でも、聴く者にとって、その重みは桁違いでる。
口演の中でもあったが、金五十枚の五十両とあらゆる金子が混ざった五十両とでは、背景にある価値の重みとともに、実際の重量も遥かに後者が重いのであり、五十両の重みにより拍車をかける。
私には、この改変は大成功に思える。誰もが思いつきそうでも実際にはやらない、人情噺の大傑作の改変、これをやってしまうところが喬太郎の凄さなのだと思う。
まくらで、「文七元結・・・、受けなきゃよかったなぁ」、「でも、(高座で膝立ちになって)諜報員メアリー!を始めて、最後に文七元結でございますと言えば、それでいいんだよなぁ」と言っていたのは、お座興であり、かつ、この大きな改変に至る伏線(?!)だったのだろうか。
当日のほかの演者と演目は下記で(落語のみ)
開口一番小きち「子ほめ」 市童「金名竹」 歌武蔵「無精床」 さん喬「時そば」 
扇辰「お祭り佐七」 一之輔「堀之内」 彦いち「ごくごく(かな?)」
ところで、この日のヒザ(トリの前にあがること)は、紙切りの正楽師匠でした。年が明けて1月21日に急に亡くなられて、この日の高座が、私が見た最後の高座でした。残念でなりませんとともに、寄席で何度も拝見した正楽師匠の名人芸は、生涯忘れられません。一度くらいお題のリクエストをしておけばよかったなあ。

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